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{{出典の明記|date=2018-06-08}}
[[画像:MontsukiHaoriHakama.png|thumb|300px|羽織]]
'''羽織'''(はおり)は、丈の短い[[和服|着物]]の一種<ref name="jpo-card-B1">[https://www.jpo.go.jp/shiryou/s_sonota/pdf/card/B1.pdf 意匠分類定義カード(B1)] 特許庁</ref>。[[防寒着|防寒]]・[[礼服|礼装]]などの目的から、[[長着]]・[[小袖]]の上にはおって着る。[[室町時代]]後期頃から用いられたが、現在のような形が一般的になったのは[[近世]]に入ってからである。
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[[江戸時代]]に入ると、[[町人]]へも広がったが、大商家の[[番頭]]格以上という暗黙の制限が存在していた。
 
現在後年、一般人が裃を着用することは[[祭]]や[[コスプレ]]でもない限り滅多になくなったが、紋付羽織袴が男性の正装という習慣は現代でも続いている。また、ちょっとした外出着や社交着として(紋付でない羽織)、着物の上にはおったり、着物とお揃いの羽織(いわゆる「お対」)を着用したりする。
 
また、ちょっとした外出着、社交着として(紋付でない羽織)、着物の上にはおったり、着物とお揃いの羽織(いわゆる「お対」)を着用したりする。
 
=== 十徳羽織 ===
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=== 神職の羽織 ===
[[神職]]は白衣の上に黒紋付羽織を着用する。特に神職が外祭などで移動する場合は羽織が欠かせない。紋は神紋または家紋などを用い、無紋、一ツ紋、三ツ紋、五ツ紋のものがある。羽織紐は白を使うことが多い。袴は神事用の紫や白などの差袴を使用する場合がほとんどである<ref>『神祭具便覧3939巻』民俗工芸平成27278月発行全438438頁中7777頁</ref>。
 
== 女性と羽織 ==
羽織は本来、[[戦国時代_ (日本)|戦国時代]]の軍装に由来するものであったから、江戸時代においても女性がこれを着ることはほとんどなく、女性用の上着としてはもっぱら[[打掛]]が用いられた。
 
例外は、いわゆる[[深川 (江東区)|深川]][[芸者]]([[辰巳芸者]])で、江戸中期頃からこの地域の芸者は女であるにもかかわらず羽織を着ていることが名物となっていた。時代が下るにつれて、女性の羽織は徐々に[[花柳界]]の中に広がってゆくが、これが一般に広く用いられるようになってゆくのは[[明治]]期以降である。
 
このような起源のためか、「防寒」という似たような用途が発祥の着物である[[打掛]]は今でも[[結婚式]]でも使われる女性の正装であるが、羽織は未だに女性の正装として認められていない(後述する'''黒紋付羽織'''を除く)。
 
女性の羽織の丈には流行があり、[[明治]]から[[大正]]時代にかけては膝下までの'''長羽織'''、昭和30年代には帯が隠れる程度の短い羽織が流行った。その後、着物自体が日常に着られなくなったことから羽織は作られなくなっていたが、近年の[[アンティーク着物]]ブームにより、再び羽織が脚光を浴びるようになった。ちなみに[[2004年]] - [[2005年]]のこの数年のブームは長羽織である。
 
=== 黒紋付羽織 ===
明治時代から昭和50年代まで既婚女性に広く使われた羽織。男性の礼装としての紋付羽織は、黒紋付と色紋付だけであるが、女性の羽織は黒紋付と色紋付、絵の入った絵羽織の3種類がある。背中側に[[紋]]を1個だけ染めた物や後ろ袖につけた三つ紋のものなどがあった。絵羽織には紋を付けない物もある。どんな着物でもこれを羽織れば礼装となるうもので主婦には重宝された。黒の紋付羽織、黒の絵羽羽織は、昭和50年代までは学校の[[入学式]]・[[卒業式]]の付き添いの母親の制服的な存在であったが、その後一気に衰退し、現在は滅多に見ることがない。
 
江戸時代には、黒一色で五つ紋が入った[[色無地]]は庶民の間では喪服ではなく礼服として使われていたので、黒紋付羽織が広まる土壌があったと考えられる。
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== 関連項目 ==
[[ファイル:Sakaiminato Kitaro Costume In Mizuki Shigeru Road 1.JPG|thumb|100px|ちゃんちゃんこ]]
{{Commonscat|Haori}}
* [[紋付羽織袴]] - 男性の第一礼装。