「フィリピンの戦い (1944年-1945年)」の版間の差分

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日本軍による占領の結果アメリカへの経済依存度が高かったフィリピンは困窮し、また日本軍の軍政府はコモンウェルス政権が発行した紙幣の一部を無効とした上で軍票を乱発したためインフレーションを発生させ、物資不足を悪化させた。上述のバターン死の行進などの影響もあり占領下におけるフィリピン人の対日感情は悪化した。
 
フィリピン・コモンウェルスのマニュエル・ケソン大統領はフィリピン陥落寸前に[[ホセ・アバト・サントス]]を残留政府の大統領代行としたうえで[[アメリカ極東陸軍]]司令官の[[ダグラス・マッカーサー]]と共に逃亡し、その後ワシントンにて亡命政府を建てた。ケソン大統領はフィリピンの開放と完全独立を見ることなく1944年8月に病死し、副大統領だった[[セルヒオ・オスメニャ]]が後を継いだ。サントス大統領代行はセブ島でゲリラ戦を行ったが日本軍に捕えられ銃殺刑に処された
 
=== 日本 ===