「比叡 (戦艦)」の版間の差分

m (慰霊碑画像追加)
とも述べている<ref>「週報第322号」p.5</ref>。
 
これにより、国民の間に建艦運動が起きている<ref>[[#豊田撃沈]]p.181</ref>。比叡乗組員の一部は最新鋭の軽巡洋艦[[大淀 (軽巡洋艦)|大淀]]に配属され、太平洋戦争終盤を戦うことになった。西田艦長に対しては言い分を聞く査問会すら開催されず、時の[[海軍大臣]]・[[嶋田繁太郎]]海軍大将により、現役を解き[[予備役]]とする懲罰処分を受けた<ref>[[#連合艦隊戦艦12隻を探偵する]]99頁</ref>。山本長官はこの処分に激怒し、[[宇垣纏]]中将を派遣して抗議したが、もともと山本と嶋田が犬猿の仲であったため裁定は覆らなかった。
[[File:戦艦比叡慰霊碑.jpg|thumb|150px|軍艦比叡鎮魂碑]]
西田艦長はその後も閑職を転々として終戦を迎えた。戦後も決して言い訳をすることなく、取材に応じたのも死の数ヶ月前に1度きりであった。{{main|西田正雄}}