「跡部の踊り念仏」の版間の差分

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== 歴史 ==
一遍が伯父の[[河野氏|河野通末]]を訪ねて佐久に来た時に、紫色の雲を見て、念仏を唱えながら踊ったという。跡部の踊り念仏は、[[江戸時代]]には[[2月 (旧暦)|旧暦2月]]に三日三晩行われたが、[[大正時代]]からは西方寺の縁日に行うようになった。戦時中は中断されたが、昭和27年から再開され4月に行うようになった。しかし中断中に「来迎和讃」「四方将軍」「極楽念仏」などが消滅し、「西院の川原和讃」だけが残った。昭和61年には国の重要無形民俗文化財に指定された<ref>佐久市(1990)、p. 957</ref>。
 
== 内容 ==