「近鉄奈良線列車暴走追突事故」の版間の差分

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事故当時、電車はどの車両もほぼ満員の状態であり、それでいて事故の規模の割には死傷者が少なかったのは、生駒トンネルを抜けた時点で運転士が異常に気づき、この先に連続下り勾配が控えていることが乗客に周知されたこと、更に乗客の中に通勤途中の[[警察官]]や国鉄職員、近鉄社員が居合わせ、乗客の動揺を静める、衝突に備え身を伏せるなどの体勢を取らせる、各車の手動ブレーキをかける、空気抵抗を増して減速させようと窓を開ける<ref>これは衝突時のガラス飛散による負傷者減少にも効果があった。</ref>、などの可能な限りの協力を行ったことなどの要因が重なった結果であると指摘されている<ref>この他、運転士が身を乗り出しパンタグラフを戻し再度モーターを動かそうとしたが、これは失敗に終わっている。</ref>。
 
事故発生地点1駅手前<ref>当時は[[東花園駅]]は未開業であり、瓢簞山駅の次駅が河内花園駅であった。</ref>の[[瓢箪山駅 (大阪府)|瓢簞山駅]]では、本来ならば急行が停車するはずである、瓢簞山駅より3駅手前の[[石切駅]]を通過したという通報を受けたため、先行して走り同駅を通過する予定であった[[準急列車|準急電車]]を急遽待避線に入れ、ポイントを切り替えたところで問題の電車が猛スピードで通過して行ったという話も残っている。事故を起こした列車は、瓢簞山駅が下り勾配の最終点で、それ以降は平坦線となることから、瓢簞山駅を通過した頃が最も速度を出していたと推測されているため(100km/h程度)、もし準急電車に衝突していれば更に死傷者数は増えたかもしれな可能性が高いと言われている。
 
当該列車の運転士と先頭車両に居合わせた近鉄社員は、衝突のその時まで先頭車両から退避することなく運転席に留まり続け、運転士は顎の骨を折るなどの重傷を負い、近鉄社員はブレーキを握りしめたまま死亡した。この近鉄社員は当時存在していた[[高安検修センター|高安工場]]の職員であったという。
 
以上の理由により、未曾有の大惨事にも関わらず、乗客・乗員が一体となって犠牲を最小限に食い止めたという美談として語られることがある。
 
== 事故後 ==