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=== 出生と即位 ===
[[ファイル:Louis XIII, Anne of Austria, and their son Louis XIV, flanked by Cardinal Richelieu and the Duchesse de Chevreuse.jpg|thumb|left|250px|左からリシュリュー枢機卿、父ルイ13世、幼少のルイ14世、母アンヌ・ドートリッシュ]]
[[ブルボン家]]は[[カペー朝]]の[[ルイ9世 (フランス王)|ルイ9世]]の血統の有力家門であり、ルイ14世の曾祖父に当たる[[アントワーヌ (ヴァンドーム公)|アントワーヌ・ド・ブルボン]]が[[ナバラ王国|ナバラ]]女王[[ジャンヌ・ダルブレ]]と結婚したことでブルボン家はナバラ王位と結びついた。ジャンヌ・ダルブレが熱心な[[プロテスタント]]であったことから、その子の[[アンリ4世 (フランス王)|アンリ・ド・ブルボン]]はフランス宗教戦争([[ユグノー戦争]])における[[ユグノー]](フランスのプロテスタント)陣営の盟主となった。1589年に[[アンリ3世 (フランス王)|アンリ3世]]が暗殺されたことによって[[ヴァロワ朝]]が断絶すると筆頭王位継承権者だったナバラ王アンリ(アンリ・ド・ブルボン)が即位し、新たに[[ブルボン朝]]が開かれた('''アンリ4世''')。アンリ4世は[[カトリック教会|カトリック]]に改宗して国内の支持を固め、その一方で[[ナント勅令]]を出してプロテスタント信仰の自由を(制限付きながら)認め、長期にわたる内戦を終わらせた。1610年にアンリ4世が暗殺されると嫡男の[[ルイ13世 (フランス王)|ルイ13世]]が即位した。ルイ13世は有能な[[リシュリュー]][[枢機卿]]を宰相に起用し、フランスにおける[[絶対王政|絶対王権]]の基礎を固めた。
 
1638年9月5日にルイ14世が[[サン=ジェルマン=アン=レー]]で生まれた時、ブルボン王家の男子はルイ13世の弟[[オルレアン公]][[ガストン (オルレアン公)|ジャン・バティスト・ガストン]]のみであり、ブルボン家はルイ14世の誕生で辛うじて命脈をつないだ。両親であるルイ13世と王妃[[アンヌ・ドートリッシュ]]は不仲で23年間子が生まれることがなかったため、国王も国民も待望の王位継承者の誕生を大いに祝福した<ref>[[#長谷川 2002|長谷川 2002]],p.102.</ref>。一方で、この子の本当の父親はルイ13世ではないと考える者もおり、様々な噂も広まった<ref>[[#長谷川 2002|長谷川 2002]],p.96;[[#千葉 1984|千葉 1984]],p.16..</ref>(詳細は「[[#出生を巡る俗説]]」参照)。