「一ノ矢八坂神社」の版間の差分

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=== ニンニク祭り ===
一ノ矢八坂神社の[[例祭]]は[[6月7日 (旧暦)|旧暦の6月7日]]に催行される[[祇園祭]]であるが、一般に「ニンニク祭り」と呼ばれている{{sfn|佐野|1980|p=41}}。これは[[天明]]年間([[1781年]] - [[1789年]])に[[天明の大飢饉|大飢饉]]が発生し、[[疫病]]も流行したため領主の[[堀田正英]]が[[ニンニク]]の常食を勧めたのが始まりであるとされる{{sfn|人文社観光と旅編集部 編|1985|p=152}}。別の説では素戔嗚尊が[[朝鮮半島]]へ征伐に向かうときに[[スクナビコナ|少彦名命]]からニンニク]]の効用を本来は14日間続く祭りであるが、一般に中間の7日を大祭とする{{sfn|今瀬|1981|p=53}}。この大祭当日は[[神輿]]が出るが、担ぎ手の8人は紙をくわえて無言で担ぎ、10数人が警護する{{sfn|今瀬|1981|p=53}}。
 
境内には[[露天商]]が隙間なく出店し{{sfn|鹿志村|1981|p=825}}、ニンニクを売る[[露店]]が出店する{{sfn|佐野|1980|p=41}}{{sfn|鹿志村|1981|p=825}}。[[宝永]]元年([[1704年]])に町立場が認められ、15人の地元[[百姓]]や他国の商人が出店したという記録がある{{sfn|「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編|1983|p=623}}。ここで買い求めたニンニクを家の門口に吊るしておくと病気や災難から逃れられるという信仰があり{{sfn|山崎|2002|p=185}}{{sfn|鹿志村|1981|p=825}}、近所の人にも配る{{sfn|鹿志村|1981|p=825}}。