「クレオン (政治家)」の版間の差分

(ibid)
その後、ピュロスから冬になれば包囲は困難になるという使者がやってきたが、戦況は有利だと常々主張していたクレオンは彼らは真実を伝えていないと述べ立てた。このため、使者たちは別の視察者を選出するよう求め、クレオン自身と[[テアゲネス]]が選ばれた。ここで嘘をつくか使節の言うことが正しいと認めるかというのっぴきならない状況に追い込まれたクレオンは使者を送るなど悠長なことをすべきではなく、好機を逸さずに軍を送るべきであり、自分ならばスファクテリア島のスパルタ兵を捕らえることができると主張した。かねてよりクレオンと対立関係にあり、この時遠まわしにあてこすられた[[ニキアス]]はクレオンが失態を演じるのを期待し、クレオンに自身の将軍としての指揮権を譲渡した。最初クレオンは軍を率いるのを躊躇したが、追い詰められると自分はスパルタ軍を恐れてはおらず、20日以内にスファクテリア島のスパルタ兵を捕らえるか殺すかしてみせると宣言し、名将デモステネスを同僚の将軍に選び、出航した<ref>トゥキュディデス, IV. 27-29</ref><ref>プルタルコス, 「ニキアス」, 9</ref>。ところが、この時クレオンは主戦力であったアテナイの[[重装歩兵]]を連れて行かず、[[レムノス島]]、[[インブロス島]]の兵、[[アイノス]]の[[軽装歩兵]]、その他の地方からの[[弓兵]]400人を連れて行っている<ref>トゥキュディデス, IV. 28</ref>。トゥキュディデスの記録した戦いの場面において指揮官の名前が出ていないのでクレオンがどの程度戦いに関わったのかは分かっていないが、スファクテリア島のスパルタ兵との戦いにおいてクレオンが連れて行った軽装歩兵と弓兵は左右から敵に矢玉を発射し、重装歩兵からなる敵が近づくと身軽さを生かして後退し、敵が引くと再び攻撃をするというヒット・アンド・アウェイ戦法で消耗させ、ついには絶対降伏しないと言われていたスパルタ兵120人を含む292人を降伏させることに成功した<ref>トゥキュディデス, IV. 30-38</ref><ref>ディオドロス, XII. 63</ref>。つまり、クレオンの部隊の選択は正しかったわけであり、彼は敵の重装歩兵部隊を破るのに何が必要であったのかを把握していたのである。帰国したクレオンは一躍時の人となり、スファクテリア島での勝利で名声と勢力を上昇させた<ref>プルタルコス, 「ニキアス」, 8</ref>。
== 政策 ==
クレオンはペリクレスが導入した陪審員手当てを2[[オボルス|オボロス]]から3オボロスに増額した。また、スファクテリアの戦いと同じ年にトゥディッポスが同盟諸国からの貢租徴収強化を目的とする貢租の再査定を行う決議を出した。トゥディッポスはクレオンの娘婿であることからこれは彼の政策であったと考えられている。これら[[デロス同盟]]の支配強化、公共手当ての推進といった施策はペリクレスの路線とさほど変わることのない路線であった<ref>澤田, p. 150-151</ref>。
 
== アンフィポリスの戦いとクレオンの最期 ==
[[紀元前423年]]、アテナイとの同盟から離反した[[カルキディケ半島]]の[[スキオネ]]の市民の処刑をクレオンは提案し、票決された。その結果、[[ニコストラトス (アテナイの将軍)|ニコストラトス]]とニキアスを将軍とする遠征軍が送られた<ref>トゥキュディデス, IV. 122, 129</ref>。
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