「上田馬之助 (プロレスラー)」の版間の差分

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一方で、猪木と腹心の仲でありサイドビジネスの手伝いもしていた経理担当の某氏が、不透明な小切手を切ったり、猪木を社長に祭り上げて日本プロレスの経営権を握ろうと画策しているかのような動きを見せたため、このことに気付き危機感を持った上田が馬場に相談したのが発端であったともいわれている。
 
 当時の日本プロレスは[[暴力団]]との関係が取り沙汰されたり(ただし当時の「[[興行]]」はプロレスに限らず良くも悪くも'''現在の価値観'''で言う暴力団の影響を免れることは有り得なかった)、ドンブリ勘定の資金管理など闇の部分が存在したのは間違いない。猪木自身は自著である『アントニオ猪木自伝』の中でこの件について触れ「経営陣の不正を正したかったことに嘘はない」としている。また、馬場の自伝においては、猪木の行動は日本プロレス経営改善の名を借りた乗っ取り計画だったとされ、これに関係していた上田を馬場が詰問したら「上田が全部しゃべったんです」との記述がある。雑誌[[週刊ゴング|ゴング]]の元編集長[[竹内宏介]](馬場の側近としても有名だった)も「馬場が上田を詰問・上田が真相を告白・馬場が幹部に報告」という経緯で著書を書いている。
 
 [[ユセフ・トルコ]]も自著での猪木の弟、猪木啓介との対談で「いや、あれを上層部にいったのは間違いなく上田」と語っており、元日本プロレスの経理部長である三澤正和も「実際の会議で猪木さんが『馬之助、テメェ、よくもばらしやがったな』と言っていた」と証言している<ref>『プロレスへの遺言状』ユセフ・トルコ著([[河出書房新社]])</ref>。
 
 ただ[[2007年]]1月から5月にかけて[[東京スポーツ]]にて連載されていた「上田馬之助 金狼の遺言」において、上田は「実はあの事件で最初に裏切り首脳陣に密告を行ったのは馬場であるが、当時の社内の状況ではとてもそのことを言える状態ではなく、自分が罪を被らざるを得なかった」「証拠となるメモも残っている」と語っている<ref name="kinrou-115">[[#kinrou|『金狼の遺言 完全版』P115]]</ref>(但しそのメモが公開されることはついになかった)。
 
猪木の日本プロレス除名並びに[[新日本プロレス]]旗揚げまでの経過は以下の通りである。