「石井桃子」の版間の差分

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| movement =
| religion =
| notable_works = '''著作'''<br />『[[ノンちゃん雲に乗る]]』(1951年)<br />『子どもの図書館』(1965年)<br />『幻の朱い実』(1994年)<br />'''翻訳'''<br />『熊のプーさん』(1950年)<br />『[[ピーターラビット]]』(1971年)
| awards = [[芸術選奨]]文部大臣賞(1951年)<br />[[菊池寛賞]](1953年)<br />子ども文庫功労賞(1984年)<br />[[日本芸術院賞]](1993年)<br />[[読売文学賞]](1995年)<br />[[朝日賞]](2007年)<br />[[旭日中綬章]](2008年)
| spouse =
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| influences = [[A・A・ミルン]]<br>[[菊池寛]]<br>[[村岡花子]]
| influenced = [[阿川佐和子]]<br>[[中川李枝子]]<br>[[松岡享子]]<br>[[宮崎駿]]
| debut_works = '''著作'''『[[ノンちゃん雲に乗る]]』(1951年)<br>'''翻訳'''『プー横丁にたった家』<br>[[A・A・ミルン]] (1942)
| signature =
| website =
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しかしやがて酪農組合の資金難に悩むようになり、岩波で『世界』編集長となった吉野や[[小林勇]]から再三編集の仕事を勧められたためもあり、[[1947年]]に上京を決意。[[1950年]]より岩波嘱託となり、『[[岩波少年文庫]]』の企画編集に携わる。
 
[[1951年]]に[[藤田圭雄]]の紹介で[[光文社]]から刊行した『[[ノンちゃん雲に乗る]]』が第1回[[芸術選奨]]文部大臣賞を受け、ベストセラーとなり、[[鰐淵晴子]]主演で映画化される。戦後児童文学界における業績を高く評価され、[[1953年]]、[[菊池寛賞]]受賞。同年、[[内藤濯]]に「おもしろいから」と勧めて訳させた『[[星の王子さま]]』を岩波書店から刊行。同年、[[坂西志保]]の勧めで[[ロックフェラー財団]]研究員として留学することを決意。このため[[1954年]]5月に岩波書店を退社し、同年8月、[[横浜港]]から渡米。船上で[[西川正身]]と知り合う。[[1955年]]6月、ヨーロッパを経て同年9月に帰国。
 
[[1957年]]、家庭文庫を始めていた[[村岡花子]]や[[土屋滋子]]たちと「家庭文庫研究会」を結成([[1964年]]に解散)。[[1958年]]、荻窪の自宅の一室に児童図書室「かつら文庫」を開く。この文庫の一番乗りはロックフェラー財団つながりで交友があった[[阿川弘之]]の長男[[阿川尚之|尚之]]だった<ref name="agawa">『[[ユリイカ (雑誌)|ユリイカ]]』[[2007年]]7月号「特集*石井桃子 一〇〇年のおはなし」p.214</ref>。続いて長女[[阿川佐和子|佐和子]]も同文庫に通うようになる<ref name="agawa">『[[ユリイカ (雑誌)|ユリイカ]]』[[2007年]]7月号「特集*石井桃子 一〇〇年のおはなし」p.214</ref>。この取り組みはのちに『子どもの図書館』(1965年)にまとめられ、公共図書館における児童文庫の普及に大きな影響を与えた。