「日本橋川」の版間の差分

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日本橋川は[[亀島川]]とともに[[神田川 (東京都)|神田川]]の派川(分流)である。
 
[[東日本旅客鉄道|JR]][[水道橋駅]]西口近く、東京都千代田区と[[文京区]]の境界にある[[小石川橋]]で神田川から分岐、ここを起点として真南に流れる。以降はほぼ全流路に渡って[[首都高速道路]]の高架下を流れている。分岐直後から河川上空を[[首都高速5号池袋線]]の高架が覆う。[[本郷台地]]と[[麹町台地]]北部([[九段坂]])の間の低地沿いを流れ[[東京都道302号新宿両国線|靖国通り]]と交差後、南東方向に流れを変える。[[雉子橋]]周辺では[[皇居]]の内堀(清水濠)に30 mまで接近し、この付近から[[首都高速都心環状線]]の高架下となる。神田橋、日本橋、江戸橋などを通過して、[[亀島川]]を仕切る日本橋水門付近でようやく川面が開けるが、空を望める川面は僅か500 m弱、[[中央区 (東京都)|中央区]]の[[永代橋]]付近で[[隅田川]]に[[合流]]する。
 
== 歴史 ==
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以降、近代に至るまで流域は経済・運輸・文化の中心として栄えた。堀の両側には[[河岸]]が点在し、全国から江戸・東京にやってくる商品で賑わった。上流から鎌倉河岸、裏河岸、西河岸、魚河岸、四日市河岸、末広河岸、兜河岸、鎧河岸、茅場河岸、北新堀河岸、南新堀河岸があった。河岸現在でも周辺に[[日本橋小網町|小網町]]・[[日本橋小舟町|小舟町]]・[[日本橋堀留町|堀留町]]など当時を思わせる地名が残っている。
 
明治になると、道三堀の西半分と[[外濠 (東京都)|外濠]](現在の[[外堀通り]])が埋め立てられ、飯田堀は開通した鉄道の[[飯田町駅]]との運河としても使われる。[[1903年]]([[明治]]36年)、[[市区改正]]事業によって埋めた区間を再度神田川まで開削し、神田川の[[派川]]として'''日本橋川'''と呼ばれるようになる。
 
== 再整備構想 ==
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== 橋梁 ==
* [[三崎橋]]
* [[小石川橋通架道橋]](JR[[中央本線]])<ref>[http://library.jsce.or.jp/jscelib/h_bridge/09710.htm 小石川橋通架道橋 1904-12-31] - 土木学会付属土木図書館、2018年6月20日閲覧。</ref>
* [[新三崎橋]]
* [[あいあい橋]]
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* [[神田橋 (日本橋川)|神田橋]]([[本郷通り]]・[[日比谷通り]]・[[首都高速道路|首都高速]][[神田橋出入口|神田橋ランプ]])
* [[鎌倉橋 (日本橋川)|鎌倉橋]]([[外堀通り]])
* [[外濠橋]](JR[[東北本線]]・[[東北新幹線]]、中央本線)<ref>[http://library.jsce.or.jp/jscelib/h_bridge/14756.htm 常磐橋(外濠橋)1919-3-1] - 土木学会付属土木図書館、2018年6月20日閲覧。</ref>
* [[新常盤橋]]([[江戸通り]])
* [[常磐橋 (日本橋川)|常磐橋]]
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{{脚注ヘルプ}}
{{Reflist}}
 
== 関連項目 ==
* [[日本の川一覧]]
* [[江戸城]]
 
== 外部リンク ==
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* [http://nihonbashi.tokyo-area.net/ 日本橋川の徒歩と舟の旅]
 
{{日本橋川の橋}}
{{DEFAULTSORT:にほんはしかわ}}
[[Category:江戸城]]