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== 難民条約と難民の定義 ==
[[1951年]][[7月28日]]、[[スイス]]の[[ジュネーヴ]]で行われた「難民及び無国籍者に関する国際連合全権会議」において「難民の地位に関する条約(Convention Relating to the Status of Refugees)」([[難民条約]])」<ref>日本における法令番号は「昭和56年条約第21号」。発効は1982年1月1日。</ref>が採択された。難民の定義、難民保護のための行政措置、[[ノン・ルフールマン原則]](Principle of Non-refoulement)<ref>ノン・ルフールマン原則:(避難民の)送致・送還の禁止の原則。</ref>を定めた同条約は、難民法の「[[マグナ・カルタ]]」と称され尊ばれる。「難民条約」の制定に先立つ1950年12月に難民支援活動の監督団体として[[国際連合難民高等弁務官事務所]](以下"[[UNHCR]]")<ref>[[緒方貞子]]は1991年から2000年の間、第8代難民高等弁務官を三期務め、金の鳩平和賞を受賞している。</ref>が設立されている。しかし、同条約の対象地域はヨーロッパに限定しており、さらに対象となる人々もUNHCRが活動を開始した1951年1月1日以前に発生した難民に限られていたため、[[1967年]][[1月31日]]、[[国際連合]]の「難民の地位に関する議定書(Protocol Relating to the Status of Refugees)」([[難民議定書]])<ref>日本における法令番号は「昭和57年条約第1号」。発効は1982年1月1日
</ref>により、対象地域の限定を原則解消し、対象難民の時限性を撤廃した。通常、「難民条約」と「難民議定書」の両方を統合したものを「'''難民条約'''」<ref>{{PDFlink|[http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S26/S26SE319.html 日本外務省『難民条約(邦訳版)』]}}</ref>と呼称する。
 
難民の定義、難民保護のための行政措置、[[ノン・ルフールマン原則]](Principle of Non-refoulement)<ref>ノン・ルフールマン原則:(避難民の)送致・送還の禁止の原則。</ref>を定めた同条約は、難民法の「[[マグナ・カルタ]]」と称され尊ばれる。
難民議定書を含む「[[難民条約]]」が定義する難民とは、日本国の外務省発行のパンフレット<ref> http://www.mofa.go.jp/mofaj/press/pr/pub/pamph/nanmin.html [[日本外務省]]「難民条約」</ref>によれば、{{Squote|人種、宗教、国籍若しくは特定の社会的集団の構成員であること又は政治的意見を理由に迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有するために、国籍国の外にいる者であって、その国籍国の保護を受けることができないもの又はそのような恐怖を有するためにその国籍国の保護を受けることを望まないもの及びこれらの事件の結果として常居所を有していた国の外にいる無国籍者であって、当該常居所を有していた国に帰ることができないもの又はそのような恐怖を有するために当該常居所を有していた国に帰ることを望まないもの(難民条約第1条A(2)より抜粋)}}である。これは狭義の'''政治難民'''にあたる。しかし、元来難民は政治的理由に限定されていたわけではなく、[[自然災害]]、[[飢餓]]、[[伝染病]]などの'''災害難民'''<ref>災害難民:多くの場合、被災者は国内の別の地域に移動するため[[国内避難民]]と呼ばれることがある。</ref>のほか、[[宗教]]的追放や域内外の[[紛争]]から逃れるため、住む場所を追われた者('''避難民''')<ref>避難民('''DP'''= <span style="text-decoration:underline;">'''D'''</span>isplaced <span style="text-decoration:underline;">'''P'''</span>erson)</ref>が多数を占めていた。
 
「難民条約」の制定に先立つ1950年12月に難民支援活動の監督団体として[[国際連合難民高等弁務官事務所]](以下"[[UNHCR]]")<ref>[[緒方貞子]]は1991年から2000年の間、第8代難民高等弁務官を三期務め、金の鳩平和賞を受賞している。</ref>が設立されている。
また、経済的貧困から外国へ逃れる難民は'''経済難民'''(Economic Refugee)と呼ばれ、政治難民との識別が困難になりつつある。原則、UNHCRや第一次庇護国での難民認定を通過しないと人道支援は受けられなかったが、近年では人権に配慮し、'''庇護申請者'''<ref>庇護申請者(Asylum Seeker):UNHCRによれば、自国を追われ、他国で難民としての地位と保護を求める人々を言う。UNHCRが難民と認定した場合でも、第一次庇護国の政府が難民と認めない場合がある。</ref>や'''国内避難民'''<ref>国内避難民('''IDP'''= <span style="text-decoration:underline;">'''I'''</span>nternally <span style="text-decoration:underline;">'''D'''</span>isplaced <span style="text-decoration:underline;">'''P'''</span>erson):難民は、国境を越えて初めて認定される。しかしUNHCRによれば、「国内にとどまりながらも故郷を追われ、難民と同じような境遇にある人々」が多数いるとする。</ref>(域内難民)といった難民の字義から外れた地位のもとで緊急支援が受けられるようになっている。
 
しかし、同条約の対象地域はヨーロッパに限定しており、さらに対象となる人々もUNHCRが活動を開始した1951年1月1日以前に発生した難民に限られていたため、[[1967年]][[1月31日]]、[[国際連合]]の「難民の地位に関する議定書(Protocol Relating to the Status of Refugees)」([[難民議定書]])<ref>日本における法令番号は「昭和57年条約第1号」。発効は1982年1月1日。</ref>により、対象地域の限定を原則解消し、対象難民の時限性を撤廃した。通常、「難民条約」と「難民議定書」の両方を統合したものを「'''難民条約'''」<ref>{{PDFlink|[http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S26/S26SE319.html 日本外務省『難民条約(邦訳版)』]}}</ref>と呼称する。
 
難民議定書を含む「[[難民条約]]」が定義する難民とは、日本国の外務省発行のパンフレット<ref> http://www.mofa.go.jp/mofaj/press/pr/pub/pamph/nanmin.html [[外務省|日本外務省]]「難民条約」</ref>によれば、{{Squote|人種、宗教、国籍若しくは特定の社会的集団の構成員であること又は政治的意見を理由に迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有するために、国籍国の外にいる者であって、その国籍国の保護を受けることができないもの又はそのような恐怖を有するためにその国籍国の保護を受けることを望まないもの及びこれらの事件の結果として常居所を有していた国の外にいる無国籍者であって、当該常居所を有していた国に帰ることができないもの又はそのような恐怖を有するために当該常居所を有していた国に帰ることを望まないもの(難民条約第1条A(2)より抜粋)}}である。これは狭義の'''政治難民'''にあたる。しかし、元来難民は政治的理由に限定されていたわけではなく、[[自然災害]]、[[飢餓]]、[[伝染病]]などの'''災害難民'''<ref>災害難民:多くの場合、被災者は国内の別の地域に移動するため[[国内避難民]]と呼ばれることがある。</ref>のほか、[[宗教]]的追放や域内外の[[紛争]]から逃れるため、住む場所を追われた者('''避難民''')<ref>避難民('''DP'''= <span style="text-decoration:underline;">'''D'''</span>isplaced <span style="text-decoration:underline;">'''P'''</span>erson)</ref>が多数を占めていた。
 
また、経済的貧困から外国へ逃避する難民は'''経済難民'''(Economic Refugee)と呼ばれ、政治難民との識別が困難になりつつある。原則、UNHCRや第一次庇護国での難民認定を通過しないと人道支援は受けられなかったが、近年では人権に配慮し、'''庇護申請者'''<ref>庇護申請者(Asylum Seeker):UNHCRによれば、自国を追われ、他国で難民としての地位と保護を求める人々を言う。UNHCRが難民と認定した場合でも、第一次庇護国の政府が難民と認めない場合がある。</ref>や'''国内避難民'''<ref>国内避難民('''IDP'''= <span style="text-decoration:underline;">'''I'''</span>nternally <span style="text-decoration:underline;">'''D'''</span>isplaced <span style="text-decoration:underline;">'''P'''</span>erson):難民は、国境を越えて初めて認定される。しかしUNHCRによれば、「国内にとどまりながらも故郷を追われ、難民と同じような境遇にある人々」が多数いるとする。</ref>(域内難民)といった難民の字義から外れた地位のもとで緊急支援が受けられるようになっている。
 
なお、クーデタや民衆蜂起によって国外へ逃亡を図る「[[亡命]]」という語には、自主的に出国するという語感を与えるが、法的な解釈は難民と同義であり、政治犯罪人不引渡原則に適用させるか否かは到着国によって対応が異なる。
 
== 難民のイメージとラベル ==
「難民」のイメージとラベルの問題は、内外の学者から常に指摘されている。
「難民」のイメージとラベルの問題は、内外の学者から常に指摘されている。世界的に難民というとアフリカの黒人とその子供らを想起しやすいが、次節で数値を示している通り、実際には[[アフガニスタン]]や[[イラク]]といった紛争地域を抱えるアジア人が多数を占めており、現実とは異なる姿を世間一般に投影している。そうした「難民」のイメージには、強制移動の境遇に貶められた人々を弱者視し、無能力な人種として取り扱おうとする傾向がある。元UNHCRで難民研究者の小泉は「いわば弱点を強調することで、イメージはそれ自体、彼ら難民のもつ(中略)可能性を覆い隠してしまう」と述べており、難民のイメージは、時に人間としての[[尊厳]]を蹂躙する危険性を孕んでいる{{要出典|date=2016年3月}}。また、『「難民である」というのは例えば「日本人である」「女である」というような生まれ持った属性ではなく、社会がつけたカテゴライズであって、本人のアイデンティティーを表すものではない。』と東京大学大学院の研究者渡部がコンゴにおける紛争・暴力をテーマにした映画「女を修理する男」の上映会・トークショー「 [http://themanwhomendswomen.peatix.com/?lang=ja 私たちは私たちの(無)関心とどう付き合うか]」の中で述べている。(難民支援協会との共催。)
 
世界的に難民というと[[アフリカ]]の[[黒人]]とその子供児童らを想起しやすいが、次節で数値を示している通り、実際には[[アフガニスタン]]や[[イラク]]といった紛争地域を抱える[[アジア]]人が多数を占めており、現実とは異なる姿を世間一般に投影している。
オックスフォード大学の『難民研究ジャーナル』<ref>[http://jrs.oxfordjournals.org/content/by/year University of Oxford "Journal of Refugee Studies"]</ref>でR.ゼッターが、「最も強力なラベルのひとつ」と述べているように、「難民」ラベルの持つ効力が[[人道支援]]の必要性を強力に世界へ訴えかける一方、ラベルを援用した実務家らによる人権ビジネスへの加担も指摘されている。そのラベル効力で得た膨大な支援物資や活動費は、人類学者B.E.ハレル=ボンドの言うところの「押し付け援助(Imposing Aid)」へと繋がり、逆に難民の労働意欲や生活維持力を減退させ、難民キャンプ内をただの「要求集団化」させてしまう[cf. 小泉]。
 
そうした「難民」のイメージには、強制移動の境遇に貶められた人々を弱者視し、無能力な人種として取り扱おうとする傾向がある。元UNHCRで難民研究者の一人は「いわば弱点を強調することで、イメージはそれ自体、彼ら難民のもつ(中略)可能性を覆い隠してしまう」と述べており、難民のイメージは、時に人間としての[[尊厳]]を蹂躙する危険性を孕んでいる{{要出典|date=2016年3月}}。
 
また、『「難民である」というのは例えば「日本人である」「女である」というような生まれ持った属性ではなく、社会がつけたカテゴライズであって、本人のアイデンティティーを表すものではない。』と[[東京大学]]大学院のとある研究者が[[コンゴ民主共和国]]における[[紛争]]・[[暴力]]をテーマにした映画『女を修理する男』の上映会・トークショー「[http://themanwhomendswomen.peatix.com/?lang=ja 私たちは私たちの(無)関心とどう付き合うか]」の中で述べている(難民支援協会との共催)。
 
[[オックスフォード大学]]の『難民研究ジャーナル』<ref>[http://jrs.oxfordjournals.org/content/by/year University of Oxford "Journal of Refugee Studies"]</ref>でR.ゼッターが、「最も強力なラベルのひとつ」と述べているように、「難民」ラベルの持つ効力が[[人道支援]]の必要性を強力に世界へ訴えかける一方、ラベルを援用した実務家らによる人権ビジネスへの加担も指摘されている。そのラベル効力で得た膨大な支援物資や活動費は、人類学者B.E.ハレル=ボンドの言うところの「押し付け援助(Imposing Aid)」へと繋がり、逆に難民の労働意欲や生活維持力を減退させ、難民キャンプ内をただの「要求集団化」させてしまう[cf. 小泉]。
 
== 難民の発生地域と数値 ==
下掲した[[国際連合難民高等弁務官事務所|UNHCR]]による2010年6月公表の統計<ref>[http://www.unhcr.org/4c11f0be9.html UNHCR (2010) "Global Trends 2009"]</ref>では、2009年12月31日時点で世界における'''難民'''と'''庇護申請者'''の合計は1,138万人に上る。

地域別では、[[中東]]を含めた[[アジア]]が最大の難民(54.1%)<ref>[[パレスチナ]]難民支援活動はUNRWA([[国際連合パレスチナ難民救済事業機関]])が担当しており、UNHCRの管轄外のため統計数値に反映されない点、留意されたい。</ref>を有しており、次いで[[アフリカ]](22.1%)、[[ヨーロッパ]](15.7%)の順だが、庇護申請者では[[アフリカ]](44.3%)が最も多く、次いで[[ヨーロッパ]](28.7%)、[[アジア]](6.7%)の順となる。
 
{| class="wikitable"
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! !! 難民 !! 庇護申請者 !! 帰還民(難民) !! 国内避難民 !! 帰還民(国内避難民) !! 無国籍者 !! その他 !! 合計
|-
! [[アフリカ]]
| 2,300,100 || 436,900 || 149,500 || 6,468,000 || 846,000 || 100,100 || 174,200 || 10,475,600
|-
! [[アジア]]
| 5,620,500 || 67,900 || 97,600 || 5,434,500 || 1,381,200 || 5,820,400 || 144,900 || 18,567,000
|-
! [[ヨーロッパ]]
| 1,628,100 || 282,200 || 4,300 || 420,800 || 2,300 || 639,000 || 92,600 || 3,069,300
|-
! [[南アメリカ]]
| 367,400 || 68,800 || 100 || 3,304,000 || - || 100 || - || 3,740,400
|-
! [[北アメリカ]]
| 444,900 || 125,000 || - || - || - || - || - || 569,900
|-
! [[オセアニア]]
| 35,600 || 2,600 || - || - || - || - || - || 38,200
|-
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=== 歴史 ===
{{see also|日本の外国人}}
歴史的に日本も難民とは無縁ではない。
歴史的に日本も難民とは無縁ではない。[[百済]]が滅んだ時には{{要出典|数多くの百済人が事実上の難民として友好国であった日本に身を寄せた記録がある|date=2015年10月}}。いくつかの例外を除いて外国との通商を行っていなかった[[江戸時代]]の[[鎖国]]体制でも[[出島]]の[[オランダ商館]]にいた[[ヘンドリック・ドゥーフ]]などが祖国の[[ネーデルラント連邦共和国]]([[オランダ]])が[[フランス第一共和政|フランス]]に滅ぼされたために一種の難民の状態となって日本に取り残された。[[明治]]の時代でも[[ロシア革命]]によって祖国[[ロシア]]を追われた[[白系ロシア人]]や[[タタール|タタール人]]などの一部が日本に逃れてきた事例もある。[[ドイツ]]に[[ナチス・ドイツ|ナチス政権]]が誕生し大量の[[ユダヤ人]]の難民が発生すると、日本の[[外務省]]は日本本土や中国大陸の日本支配地域を経由して[[アメリカ合衆国|アメリカ]]などに亡命する[[外務省ユダヤ難民取り扱い規則|ユダヤ人の取り扱いを定めた規則]]や[[猶太人対策要綱]]などを制定した。
 
[[朝鮮半島]]において[[百済]]が滅亡した時には{{要出典|数多くの百済人が事実上の難民として友好国であった日本に身を寄せた記録がある|date=2015年10月}}。
1979年8月にはベトナム難民第一号として[[ルー・フィン・チャウ]]が来日し大きく報道された。チャウはのちに日本で歌手デビューした。
 
いくつかの例外を除いて外国との通商を断絶していた[[江戸時代]]の[[鎖国]]体制でも[[出島]]の[[オランダ商館]]にいた[[ヘンドリック・ドゥーフ]]などが祖国の[[ネーデルラント連邦共和国]]([[オランダ]])が[[フランス第一共和政|フランス]]に滅亡させられたために一種の難民の状態となって日本に取り残された。
20世紀、[[インドシナ難民]]に対する国際貢献の必要性が契機となり[[1981年]][[10月3日]][[日本]]は「難民条約」に[[1982年]][[1月1日]]には「難民議定書」にそれぞれ加盟し[[1982年]][[1月1日]]両条約と議定書を発行した。そして、それまでの「出入国管理令」を大幅に改正・改定した「[[出入国管理及び難民認定法]]」<ref>[http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S26/S26SE319.html 日本電子政府『出入国管理及び難民認定法』]</ref>(以下、入管難民法)によって[[難民認定|難民の認定手続]]制度を定めている。[[入国管理局|入国管理]]当局の認定作業は当初より非公開かつ厳格であったが、[[1980年代]]後半に[[ベトナム]]からの偽装[[インドシナ難民|難民]]が大量に流入するようになるとスクリーニング制度が導入され更に認定基準が引き上げられた。以降日本の[[難民認定手続]]が外国人である難民申請者側にとって複雑であるとされることや、[[法務大臣]]及び[[難民調査官]]という[[法務省]]官吏のみが難民認定の権限を有していることが人道的配慮に欠けるとして国際社会から批難されるようになると、これを受けて法務省は2002年6月から難民問題に関する専門部会を開催し<ref>http://www.moj.go.jp/nyuukokukanri/kouhou/nyukan_nyukan13-02.html 難民問題に関する専門部会開催状況等 法務省</ref>、[[2005年]]5月に入管難民法を改正して外部からの有識者や実務経験者などを難民認定手続に関与させる「[[難民審査参与員]]制度」を導入するとともに、日本入国後60日以内に難民申請を行わなければ入国管理局は当事者を違法滞在として強制退去させるとしていたいわゆる「60日ルール」を廃止した。
 
[[明治]]の時代でも[[ロシア革命]]によって祖国[[ロシア]]を追われた[[白系ロシア人]]や[[タタール|タタール人]]などの一部が日本に亡命してきた事例もある。
現在の[[日本]]は[[国際連合]]に毎年多額の資金を提供しており2014年の拠出額は世界2位である。しかし国内への難民受け入れには慎重な姿勢をとっており、難民認定の数は諸外国と比べても著しく低い<ref>{{cite news |title=「日本の難民審査は厳しすぎる」 難民支援協会の石川えりさん |newspaper=[[毎日新聞]] |date=2015-3-20 |url=http://mainichi.jp/feature/interview/news/20150302mog00m040005000c.html |accessdate=2014-3-29 }}</ref><ref>{{cite news |title=日本の難民政策:受け入れは「狭き門」 |newspaper=nippon.com |date=2015-5-6 |url=http://www.nippon.com/ja/features/h00107/|accessdate=2015-5-9 }}</ref>。近年、日本では難民認定を求める者が急増している。[[2005年]]に日本で難民認定を求める者は384人だったが[[2013年]]には3260人となり、[[2014年]]には5000人となった。しかし日本では難民だと認定する基準が厳しく、この5000人の申請者のうち難民として認定されたのは11人であった<ref name="nikkeiDGXMZO84345190T10C15A3000000">{{cite news |title=「難民で稼ぐ国」と「難民が稼ぐ国」…日本は「難民を見ない国」 |newspaper=[[日本経済新聞]]|date=2015-3-15 |url=http://www.nikkei.com/article/DGXMZO84345190T10C15A3000000/| accessdate=2015-3-18|author=太田泰彦 }}</ref>。
 
[[昭和]]期には、[[ドイツ]]に[[ナチス・ドイツ|ナチス政権]]が誕生し大量の[[ユダヤ人]]の難民が発生すると、日本の[[外務省]]は[[日本列島|日本本土]]や[[中国大陸]]の日本支配地域を経由して[[アメリカ合衆国|アメリカ]]などの国に亡命する「[[外務省ユダヤ難民取り扱い規則|ユダヤ人の取り扱いを定めた規則]]」や「[[猶太人対策要綱]]」などを制定した。
[[2009年]]7月、日本政府は[[ミャンマー難民]]の[[第三国定住]]受け入れを表明し、翌[[2010年]]9月より三年間タイ西部の[[メラ・キャンプ]]に避難している[[カレン族|カレン]]難民30名ずつ、計90名の受け入れをパイロット・ケースとして開始し国際貢献をアピールした<ref>[http://www.mofa.go.jp/mofaj/press/release/22/9/0928_01.html 外務省2010年9月28日付プレスリリース 『第三国定住によるミャンマー難民の来日』]</ref><ref>[http://www.mofa.go.jp/mofaj/press/release/22/10/1013_01.html 外務省2010年10月13日付プレスリリース 『第三国定住によるミャンマー難民の来日(第二陣)』]</ref>。ただし、日本のミャンマー難民の受け入れには、母国民主化への判断違いや民族問題に対する理解不足<ref>[http://www.nippon-foundation.or.jp/what/spotlight/myanmar/overview/ 『民主化されたミャンマーに残された課題の解決に向けて』]</ref>があり、かつ難民の日本への移住希望者不在<ref>[http://mainichi.jp/opinion/news/20121128k0000m070105000c.html 『第三国定住難民、希望者ゼロの衝撃』]</ref>や日本社会不適応性<ref>[http://www.nhk.or.jp/kaisetsu-blog/100/114019.html 『第三国定住 難民受け入れの課題』]</ref>といった問題がある。
 
[[1979年]][[8月]]には「[[ベトナム]]難民第一号として[[ルー・フィン・チャウ]]が来日し大きく報道された。チャウはのちに日本で歌手デビューした。
いくつかの大学では難民を対象にした入学推薦制度を整備している。[[明治大学]]、[[青山学院大学]]、[[関西学院大学]]などは[[国際連合難民高等弁務官事務所|国連難民高等弁務官事務所]]と協定を結び難民の子弟の入学を進めている<ref>{{Cite web|url=http://www.kwansei.ac.jp/c_ciec/c_ciec_201787.html |title=国連難民高等弁務官駐日事務所(UNHCR)との協定による難民を対象とする推薦入学制度について |publisher=[[関西学院大学]]|date=2014-7-24 |accessdate=2015-5-18}}</ref><ref>{{Cite web|url=http://www.meiji.ac.jp/koho/desukara/university/2010/20100729unhcrcyouin.html |title=UNHCR駐日事務所と難民対象の推薦入試実施に関する協定を締結 |publisher=[[明治大学]]|date=2010-7-28 |accessdate=2015-5-18}}</ref><ref>{{Cite web|url=http://www.aoyama.ac.jp/admission/undergraduate/examination/exam_refugees.html|title=国連難民高等弁務官(UNHCR)駐日事務所との協定による難民を対象とする推薦 |publisher=[[青山学院大学]]|accessdate=2015-5-18}}</ref>。
 
[[20世紀]]、[[インドシナ難民]]に対する国際貢献の必要性が契機となり[[1981年]][[10月3日]]に[[日本]]は「難民条約」に、[[1982年]][[1月1日]]には「難民議定書」にそれぞれ加盟し[[1982年]][[1月1日]]両条約と議定書を発行した。そして、それまでの「出入国管理令」を大幅に改正・改定した「[[出入国管理及び難民認定法]]」<ref>[http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S26/S26SE319.html 日本電子政府『出入国管理及び難民認定法』]</ref>(以下、入管難民法)によって[[難民認定|難民の認定手続]]制度を規定している。[[入国管理局|入国管理]]当局の認定作業は当初より非公開かつ厳格であったが、[[1980年代]]後半に[[ベトナム]]からの偽装[[インドシナ難民|難民]]が大量に流入するようになるとスクリーニング制度が導入され更に認定基準が引き上げられた。
 
20世紀、[[インドシナ難民]]に対する国際貢献の必要性が契機となり[[1981年]][[10月3日]][[日本]]は「難民条約」に[[1982年]][[1月1日]]には「難民議定書」にそれぞれ加盟し[[1982年]][[1月1日]]両条約と議定書を発行した。そして、それまでの「出入国管理令」を大幅に改正・改定した「[[出入国管理及び難民認定法]]」<ref>[http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S26/S26SE319.html 日本電子政府『出入国管理及び難民認定法』]</ref>(以下、入管難民法)によって[[難民認定|難民の認定手続]]制度を定めている。[[入国管理局|入国管理]]当局の認定作業は当初より非公開かつ厳格であったが、[[1980年代]]後半に[[ベトナム]]からの偽装[[インドシナ難民|難民]]が大量に流入するようになるとスクリーニング制度が導入され更に認定基準が引き上げられた。以降日本の[[難民認定手続]]が外国人である難民申請者側にとって複雑であるとされることや、[[法務大臣]]及び[[難民調査官]]という[[法務省]]官吏のみが難民認定の権限を有していることが人道的配慮に欠けるとして国際社会から批難されるようになると、これを受けて法務省は[[2002年]][[6月]]から難民問題に関する専門部会を開催し<ref>http://www.moj.go.jp/nyuukokukanri/kouhou/nyukan_nyukan13-02.html 難民問題に関する専門部会開催状況等 法務省</ref>、[[2005年]][[5月]]に入管難民法を改正して外部からの有識者や実務経験者などを難民認定手続に関与させる「[[難民審査参与員]]制度」を導入するとともに、日本入国後60日以内に難民申請を行わなければ入国管理局は当事者を違法滞在として強制退去させるとしていたいわゆる「60日ルール」を廃止した。
 
現在の[[日本]]は[[国際連合]]に毎年多額の資金を提供しており[[2014年]]の拠出額は世界2位である。しかし国内への難民受け入れには慎重な姿勢をとっており、難民認定の数は諸外国と比べても著しく低い<ref>{{cite news |title=「日本の難民審査は厳しすぎる」 難民支援協会の石川えりさん |newspaper=[[毎日新聞]] |date=2015-3-20 |url=http://mainichi.jp/feature/interview/news/20150302mog00m040005000c.html |accessdate=2014-3-29 }}</ref><ref>{{cite news |title=日本の難民政策:受け入れは「狭き門」 |newspaper=nippon.com |date=2015-5-6 |url=http://www.nippon.com/ja/features/h00107/|accessdate=2015-5-9 }}</ref>。近年、日本では難民認定を求める者が急増している。[[2005年]]に日本で難民認定を求める者は384人だったが[[2013年]]には3260人となり、[[2014年]]には5000人となった。しかし日本では難民だと認定する基準が厳しく、この5000人の申請者のうち難民として認定されたのは11人であった<ref name="nikkeiDGXMZO84345190T10C15A3000000">{{cite news |title=「難民で稼ぐ国」と「難民が稼ぐ国」…日本は「難民を見ない国」 |newspaper=[[日本経済新聞]]|date=2015-3-15 |url=http://www.nikkei.com/article/DGXMZO84345190T10C15A3000000/| accessdate=2015-3-18|author=太田泰彦 }}</ref>。
 
[[2009年]]7月、日本政府は[[ミャンマー難民]]の[[第三国定住]]受け入れを表明し、翌[[2010年]][[9月]]より3年間[[タイ王国|タイ]]西部の[[メラ・キャンプ]]に避難している[[カレン族|カレン]]難民30名ずつ、計90名の受け入れをパイロット・ケースとして開始し国際貢献をアピールした<ref>[http://www.mofa.go.jp/mofaj/press/release/22/9/0928_01.html 外務省2010年9月28日付プレスリリース 『第三国定住によるミャンマー難民の来日』]</ref><ref>[http://www.mofa.go.jp/mofaj/press/release/22/10/1013_01.html 外務省2010年10月13日付プレスリリース 『第三国定住によるミャンマー難民の来日(第二陣)』]</ref>。ただし、日本のミャンマー難民の受け入れには、母国民主化への判断違いや民族問題に対する理解不足<ref>[http://www.nippon-foundation.or.jp/what/spotlight/myanmar/overview/ 『民主化されたミャンマーに残された課題の解決に向けて』]</ref>があり、かつ難民の日本への移住希望者不在<ref>[http://mainichi.jp/opinion/news/20121128k0000m070105000c.html 『第三国定住難民、希望者ゼロの衝撃』]</ref>や日本社会不適応性<ref>[http://www.nhk.or.jp/kaisetsu-blog/100/114019.html 『第三国定住 難民受け入れの課題』]</ref>といった問題がある。
 
いくつかの[[高等教育]]機関である[[大学]]では難民を対象にした入学推薦制度を整備している。[[明治大学]]、[[青山学院大学]]、[[関西学院大学]]などは[[国際連合難民高等弁務官事務所|国連難民高等弁務官事務所]](UNHCR)と協定を結び難民の子弟の入学を進めている<ref>{{Cite web|url=http://www.kwansei.ac.jp/c_ciec/c_ciec_201787.html |title=国連難民高等弁務官駐日事務所(UNHCR Japan)との協定による難民を対象とする推薦入学制度について |publisher=[[関西学院大学]]|date=2014-7-24 |accessdate=2015-5-18}}</ref><ref>{{Cite web|url=http://www.meiji.ac.jp/koho/desukara/university/2010/20100729unhcrcyouin.html |title=UNHCR駐日事務所と難民対象の推薦入試実施に関する協定を締結 |publisher=[[明治大学]]|date=2010-7-28 |accessdate=2015-5-18}}</ref><ref>{{Cite web|url=http://www.aoyama.ac.jp/admission/undergraduate/examination/exam_refugees.html|title=国連難民高等弁務官(UNHCR)駐日事務所との協定による難民を対象とする推薦 |publisher=[[青山学院大学]]|accessdate=2015-5-18}}</ref>。
 
=== 偽装難民 ===
日本の難民認定制度への申請は何度でも可能である。申請中は本国に強制送還されず在留資格を持てば就労することも可能であることから、[[出稼ぎ]]目的で来日した「[[偽装難民]]」も存在する<ref name="nikkeiDGXMZO84345190T10C15A3000000" />。[[2010年]]からは難民申請から6ヶ月が経過すれば一律に仕事に就くことができるようになっている<ref>{{cite news |title=難民不認定で異議 最多の3120人 15年、審査未処理1.3万人 |newspaper=[[日本経済新聞 ]] |date=2016-3-26 |url=http://www.nikkei.com/article/DGXLASDG25H99_V20C16A3000000/ |accessdate=2016-3-26 }}</ref>。
 
近年日本で難民認定の申請が急増しているのもこの「偽装難民」が原因の一つである指摘されている<ref name="nikkeiDGXKZO84420410W5A310C1PE8000">{{cite news |title=難民に冷たい国でいいのか |newspaper=[[日本経済新聞]]|date=2015-3-16 |url=http://www.nikkei.com/article/DGXKZO84420410W5A310C1PE8000/| accessdate=2015-3-18 }}</ref>。
近年日本で難民認定の申請が急増しているのもこの「偽装難民」が原因の一つである指摘されている<ref name="nikkeiDGXKZO84420410W5A310C1PE8000">{{cite news |title=難民に冷たい国でいいのか |newspaper=[[日本経済新聞]]|date=2015-3-16 |url=http://www.nikkei.com/article/DGXKZO84420410W5A310C1PE8000/| accessdate=2015-3-18 }}</ref>。日本国内で難民を支援する[[弁護士]]グループや[[非政府組織]]は「偽装難民」の存在や問題を認めつつも、制度の乱用対策よりも認定制度の改善を優先させてから「偽装難民」問題に取り組むべきとしている。[[法務省]]では極端に低い難民認定の基準を国際水準に高めるための議論が行われている<ref>{{cite news |title=対応急務の難民問題|newspaper=[[毎日新聞]] |date=2015-4-30 |url=http://mainichi.jp/journalism/listening/news/20150430org00m070008000c.html |accessdate=2015-5-2 |author=吉富裕倫 }}</ref>。2015年9月、[[法務省]]は難民の認定制度について「新しい形態の迫害」を認めることや認定に対して外部の有識者による「難民審査参与員」の意見を採り入れる事を決めた<ref>{{cite news |title=難民認定の対象拡大へ 審査は厳格化、外部意見の導入も |newspaper=[[朝日新聞]] |date=2015-9-5 |url=http://www.asahi.com/articles/ASH9453XSH94UTIL022.html|accessdate=2015-9-5 | author= 金子元希 }}</ref>。なお、実際に受入数を増やしたいとの思いで難民審査参与員を引き受けたとする[[吹浦忠正]]によれば、100人以上を担当した中で1人として難民認定すべきとの意見提出には至っていないとされる<ref>{{cite web |title=日本の難民受け入れに関する誤解 |newspaper=[[BLOGOS]] |date=2015-7-27 |url=http://blogos.com/article/124851/|accessdate=2016-1-27 | author= [[吹浦忠正]] }}</ref>。
 
日本国内で難民を支援する[[弁護士]]グループや[[非政府組織]]は「偽装難民」の存在や問題を認識しつつも、制度の乱用対策よりも認定制度の改善を優先させてから「偽装難民」問題に取り組むべきとしている。[[法務省]]では極端に低い難民認定の基準を国際水準に高めるための議論が行われている<ref>{{cite news |title=対応急務の難民問題|newspaper=[[毎日新聞]] |date=2015-4-30 |url=http://mainichi.jp/journalism/listening/news/20150430org00m070008000c.html |accessdate=2015-5-2 |author=吉富裕倫 }}</ref>。
この「偽装難民」の問題は、本来救うべき難民を苦境に陥らせているとの指摘がある。2010年、難民申請をすれば、申請の6カ月後からフルタイムで働くことが可能になったが、その結果、日本での労働を希望する者が「難民」として申請するケースが多く出ているとされる。結果として、[[法務省]]の難民受付の事務がパンクし、申請に多大な時間がかかるようになった。結果待ちに時間がかかることは、偽装難民にとっては、その分、結果が出るまで長期間働くことが出来て好都合だが、本来の難民にとっては長期間待たされる状況になっている。[[公明党]]の[[遠山清彦]]議員は、この規制緩和を「[[民主党 (日本 1998-2016)|民主党]]政権の隠れた大失政」と批判している<ref>{{cite news |title=ロヒンギャを襲う21世紀最悪の虐殺(後編)|newspaper=[[ニューズウィーク]] |date=2017-9-21|url=http://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2017/09/21-11.php |accessdate=2017-9-23|author=前川祐補}}</ref>。
 
2015年9月、[[法務省]]は難民の認定制度について「新しい形態の迫害」を認めることや認定に対して外部の有識者による「難民審査参与員」の意見を採り入れる事を決めた<ref>{{cite news |title=難民認定の対象拡大へ 審査は厳格化、外部意見の導入も |newspaper=[[朝日新聞]] |date=2015-9-5 |url=http://www.asahi.com/articles/ASH9453XSH94UTIL022.html|accessdate=2015-9-5 | author= 金子元希 }}</ref>。
 
なお、実際に受入数を増やしたいとの思いで難民審査参与員を引き受けたとする[[吹浦忠正]]によれば、100人以上を担当した中で1人として難民認定すべきとの意見提出には至っていないとされる<ref>{{cite web |title=日本の難民受け入れに関する誤解 |newspaper=[[BLOGOS]] |date=2015-7-27 |url=http://blogos.com/article/124851/|accessdate=2016-1-27 | author= [[吹浦忠正]] }}</ref>。
 
この「偽装難民」の問題は、本来救うべき難民を苦境に陥らせているとの指摘がある。
 
この「偽装難民」の問題は、本来救うべき難民を苦境に陥らせているとの指摘がある。[[2010年]]、難民申請をすれば、申請の6カ月後からフルタイムでに従事することが可能になったが、その結果、日本での[[労働]]を希望する者が「難民」として申請するケースが多く出ているとされる。結果として、[[法務省]]の難民受付の事務がパンクし、申請に多大な時間がかかるようになった。結果待ちに時間がかかることは、偽装難民にとっては、その分、結果が出るまで長期間の労くこと出来て可能となり好都合だが、本来の難民にとっては長期間待たされる状況になっている。[[公明党]]の[[遠山清彦]]議員は、この規制緩和を「[[民主党 (日本 1998-2016)|民主党]]政権の隠れた大失政」と批判している<ref>{{cite news |title=ロヒンギャを襲う21世紀最悪の虐殺(後編)|newspaper=[[ニューズウィーク]] |date=2017-9-21|url=http://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2017/09/21-11.php |accessdate=2017-9-23|author=前川祐補}}</ref>。
 
== 啓蒙活動 ==
=== 世界難民の日 ===
[[6月20日]]は元々[[OAU]](アフリカ統一機構)難民条約の発効を記念する「[[アフリカ難民の日]]」であったが、[[2000年]][[12月4日]]の[[国際連合総会|国連総会]]において、[[2001年]]より毎年[[6月20日]]を'''[[世界難民の日]]'''」とする旨が決議された。

以後、毎年6月20日は、難民の保護と援助に対する世界的な関心を高め、UNHCRをはじめとする国連機関やNGO(非政府組織)による活動に理解と支援を深める日にするため、世界各地でイベントが催されている<ref>[[世界難民の日]]UNHCR</ref>。
 
=== 難民選手団 ===
[[2016年]]リオデジャネイロオリンピック|2016年夏季[[オリンピック]]にて、初めて[[2016年リオデジャネイロオリンピックの難民選手団]]が登場して注目を集めた。

男女合計10名でうち2名は開催国の[[ブラジル]]在住で、[[陸上競技|陸上]]・[[水泳]]・[[柔道]]の各種目に出場した<ref>http://www.sankei.com/world/news/160606/wor1606060023-n1.html</ref>。
 
== 脚注 ==
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== 参考文献 ==
*緒方貞子 (2006) 『紛争と難民 -緒方貞子の回想-』集英社.
*加藤節 編 (1994) 『難民』東京大学出版.
*小泉康一 (2005) 『国際強制移動の政治社会学』勁草書房.
*本間浩 (1990) 『難民問題とは何か』岩波新書.
*難民研究フォーラム (2011) 『難民研究ジャーナル』現代人文社.
*シモン・ストランゲル(2013)(2013年)『このTシャツは児童労働で作られました。』汐文社
*Castles, S. & Miller, M.J. (1993) "The Age of Migration: International Population Movements in the Modern World." The Macmillan Press.
*Gorman, R.F. (2000) "Historical Dictionary of Refugee and Disaster Relief Organization, 2nd Edition." The Scarecrow Press.