「バックドロップ」の版間の差分

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[[ルー・テーズ]]によって日本にもたらされたバックドロップは[[日本プロレス]]の開祖の[[力道山]]を含む日本の強豪レスラー達を次々に沈めた技として強い衝撃を人々にもたらした。やがて、力道山もバックドロップを使用するようになり、晩年は[[手刀打ち#概要|空手チョップ]]に次ぐ[[フィニッシュ・ホールド]]として使用していた。
 
[[アントニオ猪木]]も[[延髄斬り]]を開発する前は[[コブラツイスト]]、[[卍固め]]と共にフィニッシュ・ホールドとして使用していた。柔道家の[[ウィレム・ルスカ]]との異種格闘技戦において、仕掛けたバックドロップ3連発のシーンは長く[[ワールドプロレスリング]]の中継でオープニングを飾る1シーンとして放送されていた。一方、ライバルであった[[ジャイアント馬場]]は自身の長身でバックドロップを仕掛けることが非常に危険であることを察知して自身の肩越しに相手をスライドさせるような[[ドリー・ファンク・ジュニア]]の抱え式バックドロップを使用していた。
 
[[ジャンボ鶴田]]はコーチとして来日したテーズに直接教えを受けたことでバックドロップを必殺技として蘇らせた。