「バックドロップ」の版間の差分
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[[ジャンボ鶴田]]はコーチとして来日したテーズに直接教えを受けたことでバックドロップを必殺技として蘇らせた。
1990年6月12日、[[新日本プロレス]]の福岡国際センター大会で行われたシングルマッチで[[後藤達俊]]のバックドロップを受けた[[馳浩]]が試合終了後に一時、心臓停止に追い込まれたことがある(詳しくは後述の「派生技」を参照)。
死亡例としては2009年6月13日、[[プロレスリング・ノア]]の広島県立総合体育館グリーンアリーナ大会で行われたタッグマッチで[[齋藤彰俊]]のバックドロップを受けた[[三沢光晴]]が、まもなく亡くなっている。
== 形態 ==
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