「ブラック・キャット (プロレスラー)」の版間の差分

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* [[1987年]][[3月27日]][[大阪城ホール]]にて開催された「INOKI闘魂LIVE Part2」の「[[アントニオ猪木]]VS[[マサ斎藤]]」に乱入した[[海賊男]]の正体といわれる。当初の予定だと猪木に[[手錠]]をかけて控室に拉致するはずが、段取りを誤って味方のマサに手錠かけて自分の手にも手錠をかけて繋いでしまい控室に拉致してしまった。不透明な結末に暴動が起こり、怒ったファンが火を付けた。自分の乱入のために[[暴動]]を起こしてしまった事を最後まで気にしていたという。
* 1991年3月21日「'91 スターケード in 闘強導夢」で当時参議院だった為、挨拶だけをしにリングに上がった猪木が「今日は試合が組まれてないが、(俺と)やりたい奴は出て来い!!」と言った際にキャットが一番乗りで挑戦していき、数分間のエキシビジョンのスパーリングを行った。
* 深すぎない程度に選手の流血を促す、いわゆる「カットマン」としての手腕は高く評価されており、過去の新日本プロレスの試合映像で確認でき、流血する選手の傍には常に彼が存在していた。
* 息子のマル亨(あきら)は[[ジャニーズ事務所]]に所属していたことがあり、[[過去のジャニーズ所属者|ジャニーズJr.]]としてテレビ出演経験がある<ref>日本テレビ「[[ひらめ筋GOLD]]」など。</ref>。
* 追悼イベントは最終所属となった新日本プロレス(2007年1月27日)と[[無我ワールド]](2006年8月2日)で行われ、無我ワールドで行われた[[藤波辰爾]]対[[マーク・マッカイ]]戦がブラック・キャット引退試合として行われた。上記マル亨がサブレフェリーを担当。[[蝶野正洋]]、[[獣神サンダー・ライガー]]ら多くの新日勢も多数駆けつけリング上で黙祷を行なった。また新日本プロレスは追悼興行以降、毎年1月中旬の興行でセレモニーを行ない、2011年からは[[FANTASTICA MANIA]]としてブラックキャットがつないだ日墨友好大会を開催している<ref>{{cite web|url=http://mistico-tiger.ldblog.jp/archives/65565710.html|title=「いよいよ!CMLL FANTASTICA MANIA 2011 |publisher=Mask Maniaへの道!!|date=2011年01月22日|accessdate=2015年01月13日}}</ref>。2015年には同イベントに甥のスティグマが初来日した。
 
== 得意技 ==
*; [[DDT (プロレス技)|DDT]]
* メキシカンストレッチ
* [[セントーン]]
* [[ネックブリーカー・ドロップ#ジャンピング・ネックブリーカー・ドロップ|ジャンピングネックブリーカードロップ]]
* [[DDT (プロレス技)|DDT]]
 
== タイトル歴 ==