「ブラック・キャット (プロレスラー)」の版間の差分

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'''ブラック・キャット'''(''Black Cat'')の[[リングネーム]]での活動で最も知られた'''マル・ビクトル・マヌエル'''(''Mar Victor Manuel''、[[1954年]][[10月17日]] - [[2006年]][[1月28日]])は、[[メキシコ]]の[[プロレスラー]]である。[[メキシコシティ]]出身。プロレスラー、および[[レフェリー (プロレス)|レフェリー]]、ブッカーとしての最終所属は[[新日本プロレス]]。愛称は「ネコちゃん」。
 
[[NWA世界ミドル級王座]]であった伯父の[[スギ・シト]](フランシスコ・マヌエル・マル・エルナンデス)を筆頭とするスギ・シト一家はレスリングファミリーとして有名で、父の[[ウロキ・シト]](フアン・マヌエル・マル・エルナンデス)はもちろん、叔父のパンチート・ロブレス、マヌエル・ロブレスともにプロレスラー<ref>{{cite web|url=http://bemss.jp/g-spirits/cont106_040_001.php?kmws=qdmd60icg47jaic7i8bkg836t5|title=ドクトル・ルチャの19○○ぼやき旅[10.18]黒猫の血、残る|publisher=辰巳出版|date=2017年10月18日|accessdate=2018年01月23日}}</ref>。マヌエルの息子ハバト、その息子であるスティグマもプロレスラー<ref>{{cite web|url=http://www.njpw.co.jp/news/detail.php?nid=13161|title=「注目は、“洞穴の野蛮人”カベルナリオ選手です!」“ルチャ女子”元井美貴さんが「FANTASTICA MANIA」見どころを徹底レクチャー!! (前編)|publisher=新日本プロレスリング|date=2015年01月12日|accessdate=2015年01月13日}}</ref>。
 
== 経歴 ==
[[1977年]][[4月21日]]メキシコにてプロレスデビュー。デビュー当時のリングネームはウロキ・シト・ジュニア、後に'''クロネコ''' (Kuroneko) と改名する。
 
メキシコの団体を中心に活動していたが、[[1981年]]にプロレス留学目的で新日本プロレスに入団。日本でのデビュー戦は[[4月21日]]の[[小山ゆうえんち]]にて行われたタッグマッチであった(パートナー:[[星野勘太郎]] 対戦者:[[木戸修]]・[[永源遙|永源遥]]組)。
 
== エピソード ==
* [[1987年]][[3月27日]][[大阪城ホール]]にて開催された「INOKI闘魂LIVE Part2」の「[[アントニオ猪木]]VS[[マサ斎藤]]」に乱入した[[海賊男]]の正体といわれる。当初の予定だと猪木に[[手錠]]をかけて控室に拉致するはずが、段取りを誤って味方のマサに手錠かけて自分の手にも手錠をかけて繋いでしまい控室に拉致してしまった。不透明な結末に暴動が起こり、怒ったファンが火を付けた。自分の乱入のために[[暴動]]を起こしてしまった事を最後まで気にしていたという。
* [[1991年]][[3月21日]]、「'91 スターケード in 闘強導夢」で当時参議院だった為、挨拶だけをしにリングに上がった猪木が「今日は試合が組まれてないが、(俺と)やりたい奴は出て来い!!」と言った際にキャットが一番乗りで挑戦していき、数分間のエキシビジョンのスパーリングを行った。
* 深すぎない程度に選手の流血を促す、いわゆる「カットマン」としての手腕は高く評価されており、過去の新日本プロレスの試合映像で確認でき、流血する選手の傍には常に彼が存在していた。
* 息子のマル亨(あきら)は[[ジャニーズ事務所]]に所属していたことがあり、[[過去のジャニーズ所属者|ジャニーズJr.]]としてテレビ出演経験がある<ref>日本テレビ「[[ひらめ筋GOLD]]」など。</ref>。