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[[石川県]]生まれ。[[1942年]]、[[東京帝国大学]]入学。約1年在学後の[[1943年]]12月、[[学徒出陣]]により、[[徴兵検査]]を受け、合格。大学を[[休学]]し、[[大日本帝国海軍]]の[[舞鶴]][[海兵団]]へ[[入営]]。海軍二等水兵、海軍[[主計]]見習尉官、海軍主計[[少尉]]、海軍主計[[中尉]]を経て、1945年10月に[[予備役]]編入・[[復員]]。その後、東京大学へ[[復学]]する。
 
復学から1年半後、1947年春に[[東京大学[[法学部]]を卒業し、[[大学院]]へ入学。専攻は[[行政学]]であり、指導教員は[[辻清明 (政治学者)|辻清明]]であった。1947年9月、大学院を[[退学]]して、設立まもない[[東京大学社会科学研究所]]の[[助手 (教育)|助手]]となった。その後、1951年4月まで助手として勤務した後、[[名古屋大学]]法学部]][[助教授]]、東京大学法学部[[教授]]、[[千葉大学]]法経学部教授、[[帝京大学]]文学部教授を歴任した。
 
研究開始当初、東京大学大学院での専攻は[[行政学]]で、[[辻清明 (政治学者)|辻清明]]の指導の下、ソ連行政や官僚制研究を中心に手がけていた。その後、[[1956年]]の夏から留学した[[ハーバード大学]]ロシア研究センターで[[E・H・カー]]に出会ったことを一つの契機として、ソビエト現代史へ研究を集中させていった。