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[[江戸時代]]後期の[[国学者]]・[[津村淙庵]]が[[寛政]]7年([[1795年]])に語ったところでは、[[7月13日 (旧暦)|7月13日]]<ref group="*">元資料は言及していないが、「7月13日」は[[旧暦]]に基づく日付であると常識的に解釈し、そのように記載した。ただ、旧暦と[[新暦]]の混用は専門家の文にすら散見される誤表記であり、新暦に換算された日付である可能性が、非常識ながら存在する。</ref>にかならず、[[難破船]]の[[船乗り]]の幽霊が、[[相模国]](現・[[神奈川県]])にある[[灯明台]]に参集したという<ref name="Nihon_pedia" />。
 
出遭った時点では幽霊と気づかず、実はすでに亡くなった人物であったと後になって気づくという話も、古今の別なく様々に語られている。[[古代]]においては『[[日本書紀]]』[[雄略天皇]]9年条(西暦[[465年]]の条)の記述を、[[近世]]においては『[[耳嚢]]』巻之五([[寛政]]7年〈[[1795年]]〉)に記載されている亡くなった小侍の話を、そして、20世紀においては[[1997年]](平成9年)に公開された[[日本映画]]『[[学校の怪談 (映画)#『学校の怪談2』(1996年)|学校の怪談2]]』の___を、例として挙げておく。がある
 
==== 伝承される文化・芸術として ====
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{{Anchors|画図百鬼夜行「幽霊」}}[[ファイル:SekienYurei.jpg|thumb|230px|[[鳥山石燕]]『[[画図百鬼夜行]]』「幽霊」/安永5年([[1776年]])の作。描かれているのは、夜の墓場の[[シダレヤナギ|枝垂柳]]の間から現れ出た女の幽霊で、[[額烏帽子]]を額に着け、[[白装束]]を纏っている。誰かを呼び止めているのであろうか、その腕は生者のごとく力強く掲げられている。つまりこの幽霊は、定型化される前の過渡期にある造形と言える。]]
 
=== 幽霊の姿かたち、現れる場所、時刻 ===
日本では幽霊は古くは生前の姿で現れることになっていた<ref name="Sekai_pedia" />。歌謡などの中でそうされていた<ref name="Sekai_pedia" />。[[江戸時代]]ごろになると、納棺時の死人の姿で出現したことにされ、額には三角の白紙の[[額烏帽子]]<sup>(ぬかえぼし)</sup>を着け、[[白装束]]をまとっているとされることが多くなった<ref name="Sekai_pedia" />(■右の画像を参照)。