「BMG JAPAN」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
記述スタイル
21行目:
 
== 概要 ==
旧'''BMGジャパン'''と'''ファンハウス'''からなる。音楽ソフトを扱っていた関係からか'''[[バックグラウンドミュージック|BGM]]'''と表記されることがあるが、これは誤りである。
 
[[コピーコントロールCD|CCCD]]について、親会社のソニーBMGは積極的にCCCDを導入したが、BMGの日本法人であった当社)において2002年7月に導入予定の所をであったが最終的に導入を見送り、その後もその方向を堅持した。
 
2008年10月、ソニーBMGがソニーの完全子会社なったことに伴い、当社もSMEJの完全子会社になった。SMEJ傘下となった後は、SMEJが音楽協力で関わっているアニメのテーマソングに所属アーティストの楽曲が起用されるようになった。
 
== 沿革 ==
=== RVC ===
*[[1975年]]9月、[[アメリカ合衆国|米国]][[RCAレコード]]と[[日本ビクター]]株式会社(現・株式会社[[JVCケンウッド]])、ならびにビクター音楽産業株式会社(現:株式会社[[JVCケンウッド・ビクターエンタテインメント|ビクター音楽産業株式会社]]の合弁会社として'''RVC'''(アールブイシー、RCAビクター・'''R'''CA '''V'''ictor '''C'''orporation)株式会社を設立する。日本ビクターレコード事業部(現:JVCケンウッド・ビクターエンタテインメント)の、かつて「S盤」と呼ばれていたRCAレーベル部門を継承した。
*[[1987年]]、この[[1986年|前年]]親会社[[RCA]]が経営危機に陥り、子会社のRCAレコードが[[ベルテルスマン]]([[BMG|BMG Music]]、[[西ドイツ|西独]](当時))の傘下に入ったことで、[[1987年]]にRVCはBMG Musicの日本法人であるBMGビクターに事業を譲渡して解散する
 
=== ファンハウス ===
[[File:Funhouse-headoffice.jpg|300px|thumb|旧恵比寿本社。現在はイギリスのファッションブランド「FRED PERRY」の運営会社「ヒットユニオン」が入居している。録音スタジオは別運営でそのまま残っている。]]
*[[1984年]]4月、東芝EMI株式会社(後の[[EMIミュージック・ジャパン|東芝EMI]]株式会社で制作[[ユニバーサルミュージッディレ (日本)|ユニバサル ミュ#4 レコジッド・CD制作におけるディレLLC]](「EMI Records Japan」レベル/「[[Virgin Music]]」(音楽ディクタベル)の制作|ディレクター]]とて勤めていた[[新田和長]](元[[ザ・リガニーズ]]の[[新田和長]]、[[1984年]]4月に独立する形で同社の100%東芝EMIが全額を出資によりして株式会社'''ファンハウス'''(FUN (FUN HOUSE, INC.) が設立された。新田と関わりがあった[[J-POP]][[歌謡曲]]系のアーティストの一部[[音楽家]]がEMIから移籍<ref>実際は移籍は実現しなかったが発足時に[[長渕剛]]も名を連ねた。また、[[甲斐バンド]]は一旦移籍したもののが、ファンハウス時代の[[原盤権|音源]]を買い戻してEMIミュージック・ジャパンに再移籍した。</ref>し、東芝EMIが販売元となる形態でスタートした。
*[[1988年]]東芝EMIで同じくディレクターて勤めていた敏腕な[[石坂敬一]](在職期間:<ref>1968年から1993年まで在職した。</ref>が同社の[[役員]]([[取締役]])に就任する<ref>(1994年に[[ポリグラム]](日本法人)[[代表取締役]]社長に就任、1998年に[[シーグラム]]の買収によるポリドール株式会社との再編によりユニバーサルミュージック株式会社代表取締役就任)</ref>に就くと、新田は同社から全株を取得して同年4月に[[インディペンデント]]系の[[レコードレーベル]]る。
*後、ちに[[東急グループ]]入りに参加し、[[Bunkamura]]内「TOKYU FUN STUDIO」を設立させ(<ref>現在はすでに売却)、東急の文化事業の一角を成している。</ref>した。また、[[ポップ・ミュージック|ポップス系]]の販売元を[[ポリドール・レコード|ポリドール]]株式会社(現・ユニバーサルミュージック合同会社)に移管(東芝EMIとの提携は維持されしたが、歌謡曲[[企画物|タイアップ]]系の一部[[コンパクトディスク|CD]]東芝EMIから販売体制が継続された。
*[[1993年]]、[[恵比寿 (渋谷区)]]に、録音スタジオ付きのを設置した自社ビルを竣工。 [[札幌市]][[南区恵比寿 (札幌市渋谷区)|南区恵比寿]]に、[[札幌芸術の森]]に隣接する「札幌アートヴィレッジ地区」に滞在リゾート型の録音スタジオを、それぞれ竣工(現在はした。共に売却したが建物はスタジオを含めて現存中)している
*[[1996年]]3月に、東急グループから離脱して[[#BMGビクター|BMGビクター]]の子会社となり、東急グループから離脱。全作品の販売元を同社に移管(厳密にはして出資母体の[[JVCケンウッド・ビクターエンタテインメント|ビクターエンタテインメント]]が流通を担当する。同時に、録音部セクションが独立し「株式会社バーディハウス」として営業開始。現在、恵比寿の旧本社のスタジオおよびBunkamuraの「Bunkamura Studio(旧TOKYU FUN STUDIO)」を運営している。札幌市のスタジオは閉鎖状態を経て、2008年に札幌市のイベント会社「WESS」および[[松山千春]]の個人事務所「[[オフィス・ゲンキ]]」が買取り「芸森スタジオ」としてリニューアルオープンした。運営はWESSおよびオフィス・ゲンキの他に[[クリエイティブオフィスキュー]]、[[ランタイムミュージックエンタテインメント]]、[[クリプトン・フューチャー・メディア]]、[[デジタルガレージ]]等が出資した会社「株式会社SAVE」が行っている。
 
=== BMGビクター ===