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=== 近世から20世紀初期までの中国における使用例 ===
19世紀末まで、中国大陸は[[清朝]](満洲族)の統治下にあり、明治の日本以来は中国を[[清国]]と称し、その国民を[[清国人]]と呼んだ。[[清朝]]政府が主権国家体制と国籍条例の重要性を認識し、近代的な国際条約「中国」が使われ、国籍法に国名は「中国」を定めている<ref>大清国籍条例の制定・施行と日本 大阪経大論集・第63巻第4号・2012年11月</ref>。清朝末期に[[共和主義]]運動が広まるにつれ、中国人共和主義者たちの間で、[[清国]]、[[清国人]]という呼称は「[[清朝|満清]]の臣下」を意味するという理解の人たちから、[[清朝]]を共和制にかわる、新たな未来建てる共和の呼称についての模索が開始された。また中国では、世界の中に中国を客観的に位置づける場合に「支那」の呼称が主に仏教文献で広く使われてきた。
 
[[清]]の末期([[19世紀]]末 - [[1911年]](明治44年))の中で、[[漢人]][[共和主義]]革命家たちが、自分たちの樹立する[[共和国]]の[[国号]]や、自分たちの国家に対する王朝や政権の変遷を超えた通時的な呼称を模索した際に、自称の一つとして用いられた一時期がある<ref>[[孫文]]が[[宮崎滔天]]『三十三年之夢』に寄せた序文</ref>。また、中華民国建国の父とされる[[孫文]]は[[1910年]](明治43年)に「支那暗殺團」を設立している<ref>{{cite news|title=「支那暗殺團」笑看飯統|newspaper=[[自由時報]]|publisher=Liberty Times|date=2011-05-02|url=http://www.libertytimes.com.tw/2011/new/may/2/today-o4.htm|accessdate=2012-03-20|language=中国語}}</ref>。