「三船山合戦」の版間の差分

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== 影響 ==
里見義弘はこの勝利により、先に北条方に奔った[[国人]]達の切り崩しにも成功し、さらなる房総侵攻に成功している。真里谷領は再び里見氏に属した。北条氏からの助力を期待できなくなった正木時忠は永禄12年3月までには里見氏に帰参しており(正木式膳家譜)、土気・東金両酒井氏も里見氏に従属を申し出た。一旦は北条氏と和睦した常陸佐竹氏も、再び上杉氏と同盟している。この敗戦が北条氏に与えた影響は大きく、永禄11年末には武田氏との同盟も破れて関東経略の転換をせざるえなくなり、上杉氏と里見氏に同盟を申し入れることになる。里見氏はこの申し入れを断り、上杉氏と北条氏に[[越相同盟]]がなると、佐竹氏とともに武田氏と[[越相同盟#甲房同盟|甲房同盟]]を結んだ。
 
この勝利による房総での里見氏の優位は、北条氏が上杉氏との同盟を破棄して武田氏と再同盟したのち、北条氏の本格的な再侵攻がはじまる[[天正]]3年([[1575年]])頃までは続くことになる。