削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
超プロ住民 (会話 | 投稿記録)
31行目:
 
=== 枋頭に割拠 ===
[[4月]]、石虎が逝去し、[[石世]]が後を継いだが、まだ幼かった事から母の[[劉皇后 (石虎)|劉皇太后]]と[[太保]][[張豺]]が政権を握った。この時、蒲洪は姚弋仲・石閔・[[劉寧]]・[[王鸞]]らと共に梁犢討伐から帰還の途上であったが、李城において彭城王[[石遵]]と面会した。彼らは共に「殿下(石遵)は年長であり、聡明であります。先帝(石虎)も本来は殿下を世継ぎとなるお考えでした。ですが、老耄であった事から張豺の口車に乗せられたのです。今、女主(石世の母である劉皇太后)が朝廷に臨み、姦臣(張豺)が政治を乱しております。上白(上白城に拠って石世と対立していた[[李農]]こと)が持ちこたえておりますので、宿衛(皇帝を護衛する兵が宿直する場所)に兵卒はおりません。殿下がもしも張豺の罪を数え上げ、軍鼓を鳴らして進撃すれば、全ての者が馳せ参じて殿下を迎え入れるでしょう。」と進言した。これにより石遵は挙兵を決断した。5月、石遵は鄴を攻略すると、石世を廃して自ら即位した。
 
同月、石閔は石遵へ「蒲洪は人傑です。今、蒲洪に関中を任せておりますが、臣は秦・雍の地が国家の有するもので無くなるのを恐れております。先帝臨終の命(蒲洪を関中へ置くのは石虎の遺命)といえども、既に陛下がこれを継いでいるのですから、自ら改めても差し支えないかと」と勧めた。石遵はこれに従い、蒲洪の都督職を免じた。蒲洪はこの処遇に怒り、枋頭へ帰って東晋へ帰順してしまった。