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後趙に仕え、寧西将軍に任じられた。
 
[[349年]][[4月]]、[[石虎]]が逝去し、[[石世]]が後を継いだ。王午は[[姚弋仲]]・[[苻洪|蒲洪]]・劉寧・[[石閔]](後の冉閔)らと共に李城において彭城王[[石遵]]と面会し「殿下は年長であり、聡明であります。先帝も本来は殿下を世継ぎとなるお考えでした。ですが、老耄であった事から張豺の口車に乗せられたのです。今、女主が朝廷に臨み、姦臣が政治を乱しております。上白([[李農]]は上白城に拠って石世と対立していた)が持ちこたえておりますので、宿衛に兵卒はおりません。殿下がもしも張豺の罪を数え上げ、軍鼓を鳴らして進撃すれば、全ての者が馳せ参じて、殿下を迎え入れるでしょう。」と進言した。石遵はこれを受けて挙兵し、しばらくして石世を殺害した。後に[[幽州]][[刺史]]に任じられた。
 
[[350年]][[2月]]、[[冉閔]]の乱に乗じて[[前燕]]が[[中原]]へ進出して来ると、王午は征東将軍[[鄧恒]]と共に薊城を守った。[[3月]]、前燕軍が接近すると、配下の[[王佗]]に薊城を任せて鄧恒と共に[[魯口]]へ退いた。