「澁澤龍彦」の版間の差分

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===人となり===
*[[三島由紀夫]]と長年深い親交があり、三島戯曲の代表作『[[サド侯爵夫人]]』は、自身の&#36299;文(あとがき、序文は澁澤が担当)にあるように、澁澤の『サド侯爵の生涯』を受け書き上げたが、[[式場隆三郎]]『サド侯爵夫人』も読みこんでいたことは間違いない。また[[三島事件|三島自決]]<ref>三島事件そのものは、友人種村から電話で知らされた</ref>の直後の追悼文は、さすがに昂揚している。三島は澁澤について、三島は「珍書奇書に埋もれた書斎で、殺人を論じ、頽廃美術を論じ、その博識には手がつけられないが、友情に厚いことでも、愛妻家であることでも有名。この人がゐなかつたら、日本はどんなに淋しい国になるだらう」<ref>三島由紀夫『澁澤龍&#24421;氏のこと』(澁澤龍&#24421;『快楽主義の哲学』 光文社カッパブックス、初版1965年)でのカバー紹介</ref>と述べている。作家論集『三島由紀夫研究18 三島由紀夫と澁澤龍彦』(鼎書房、2018年)がある。
*20代の終盤に三島由紀夫の紹介で、[[暗黒舞踏]]の創始者である[[土方巽]]と出会い、その舞踏表現に強い衝撃を受けたと言う。土方の舞台公演には必ず駆けつけるなど長きに渡る親交が続き、[[1986年]]に土方が急逝した際には葬儀委員長を務めた<ref>『[[日曜美術館]] 幻想の王国-澁澤龍&#24421;の世界』(NHK教育、1994年5月15日放送)で、土方巽の葬儀にて挨拶する数少ない映像が放送された。</ref>。
*1965年に雑誌『新婦人』に[[ハンス・ベルメール]]の球体関節人形の紹介を書いた。有名な人形作家[[四谷シモン]]はこの記事を読んで衝撃を受け、球体関節人形を作りはじめた。つまり澁澤は現代の日本における球体関節人形の隆盛のきっかけの一つを作ったと言える。