「京王電鉄」の版間の差分

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なお、1960年頃には、数多くの路線を建設しようとしており、立川線([[富士見ヶ丘駅]] - [[西国立駅]])、三鷹線(富士見ヶ丘駅 - [[三鷹駅]])、両国線(新宿駅 - [[神楽坂駅]] - [[飯田橋駅]] - [[九段下駅]] - [[東京駅]] - [[日本橋駅 (東京都)|日本橋駅]] - [[浜町駅]] - [[両国駅]])の3路線(路線名称は、いずれも計画時の仮称)を計画したが、いずれも実現しなかった。
 
[[1980年代]]にはそれほど健全な財務内容ではなかったが、第6代社長に京王帝都電鉄総合職1期生の[[桑山健一]]が就任し、経営の引き締めにつとめ、[[失われた10年|平成不況]]の過程で同業他社が[[不動産]]価格下落・[[流通]]不振・旅行低迷などに見舞われるのを尻目に、[[財務]]体質は強固なものに変わっていった。桑山は、京王帝都電鉄設立以来、会社のたゆまぬ経営努力にも関わらず、常に財務状況が脆弱であったことを嘆き、財務体質の強化を志しての社長就任となった。桑山は、「リフレッシング京王」をスローガンに掲げ、京王グループ全体の経営改革と付加価値向上に努めた。後継社長には、財務のプロである[[住友信託銀行]]の[[西山廣一]]常務を招聘し、桑山の意を受けた西山は、在任中、一連の財務経営改革を成し遂げ、現在、京王電鉄は、大手私鉄の中でも優良な財務体質経営状況を誇っている。
 
==== 年表 ====