「東アフリカ共同体」の版間の差分

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== 歴史 ==
[[1967年]]に[[ジュリウス・ニエレレ]]、[[ジョモ・ケニヤッタ]]、[[ミルトン・オボテ]]は東アフリカ協力条約を締結し、タンザニアの首都アルーシャに東アフリカ共同体の本部と事務局が設置された<ref>{{Cite press release |title=TIlE TREATY FOR EAST AFRICANCO·OPERATION ACT 1967 |publisher=Kenya Law|url=http://kenyalaw.org/lex/rest//db/kenyalex/Kenya/Legislation/English/Amendment%20Acts/No.%2031%20of%201967.pdf|format=PDF |accessdate= 2018-06-030}}</ref>。
[[1970年代]]に前身となる東アフリカ共同体が存在していたが、[[1977年]]にケニアとタンザニアの主導権争いや各国の国内事情などにより事実上瓦解。[[1978年]]にはウガンダがタンザニアに侵攻し合って交戦状態となり、完全消滅した([[ウガンダ・タンザニア戦争]])。その後、地域の情勢が安定した[[2001年]]にケニア、タンザニア、ウガンダの3か国により再結成が図られ、[[2005年]]には[[関税同盟]]が発足。[[2007年]]にはルワンダ、ブルンジが参画し、計5か国に拡大した。
 
[[1970年代]]に前身となる東アフリカ共同体が存在していたが、[[1977年]]にケニアとタンザニアの主導権争いや各国の国内事情などにより事実上瓦解。[[1978年]]にはウガンダがタンザニアに侵攻し合って交戦状態となり、完全消滅した([[ウガンダ・タンザニア戦争]])。その後、地域の情勢が安定した[[2001年]]にケニア、タンザニア、ウガンダの3か国により再結成が図られ、[[2005年]]には[[関税同盟]]が発足。[[2007年]]にはルワンダ、ブルンジが参画し、計5か国に拡大した
その後[[スーダン]]と[[南スーダン]]の2か国も加盟申請し、このうちスーダンは[[2011年]][[11月30日]]に申請が否決された。一方の南スーダンの申請についてはウガンダ、ケニア、ルワンダ<ref>{{cite news|url=http://en.igihe.com/spip.php?article455|agency=IGIHE|title=South Sudan: Big trading potential for EAC |date=2011-07-08 |accessdate=2011-07-09}}</ref>が支持を表明。
 
[[2001年]]に地域の情勢が安定したことによってケニア、タンザニア、ウガンダの3か国により再結成され、[[2005年]]には[[関税同盟]]が発足。[[2007年]]にはルワンダ、ブルンジが参画し、計5か国に拡大した。その後[[スーダン]]と[[南スーダン]]の2か国も加盟申請し、このうちスーダンは[[2011年]][[11月30日]]に申請が否決された。一方の南スーダンの申請についてはウガンダ、ケニア、ルワンダ<ref>{{cite news|url=http://en.igihe.com/spip.php?article455|agency=IGIHE|title=South Sudan: Big trading potential for EAC |date=2011-07-08 |accessdate=2011-07-09}}</ref>が支持を表明。
 
[[2016年]][[3月2日]]、南スーダンの加盟が承認された<ref>{{cite news|url=http://www.jiji.com/jc/zc?k=201603/2016030300517|agency=時事通信ニュース|title=南スーダン加盟を承認=東アフリカ共同体|date=2016-03-03 |accessdate=2016-03-17}}</ref>。