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2018年7月1日 (日) 02:18時点における版

桑山 健一(くわやま けんいち、1925年2月21日 - 2010年12月30日)は、昭和平成期の実業家。京王帝都電鉄(現・京王電鉄)代表取締役社長(第6代)。経営改革を強力に推進し、京王グループを優良企業に押し上げた実績から、京王の中興の祖といわれる。

来歴・人物

東京都生まれ。1949年早稲田大学専門部を卒業し、京王帝都電鉄に入社した。当時、京王帝都電鉄は、東京急行電鉄(東急)から分離独立したばかりで、桑山たちは、総合職1期生として入社した。

設立当初の京王帝都電鉄は、大手私鉄の中でも、一際目立って経営基盤が脆弱で、財務状況も芳しくなかった。毎期の決算の度に、いつも、旧・東急系の兄弟会社てある東急、小田急電鉄京浜急行電鉄と比較され、万年最下位の有り様に、とくに経理部門の社員たちは、悔しい思いをしてきたという。桑山自身もそうであり、若い時分から、悔しさを情熱に変えて仕事に励んでいた。

企画部長時代には、社長の経営方針に納得できず、「社長には経営者としての資質がない。将来の会社のことは、私たちが考えます」と啖呵をきったほどの激烈ぶりであった。

1971年、取締役に就任。取締役副社長を経て、1986年箕輪圓社長の会長就任に伴い、第6代取締役社長に就任した。

桑山は、社長に就任すると、財務状況の改善に敏腕を振るい、各部門から上申される投資案件、経費支出をことごとく否決したり、差し戻したりと、経営の引き締めに取り組んだ。そのため、バブル経済下にあっても、京王は投資には慎重過ぎる一方、バブル崩壊のダメージもまったく受けなかった。

また、桑山は、「リフレッシング京王」を掲げて、京王グループ全体の経営改革を促し、企業価値の向上に努めた。結果、京王帝都電鉄をはじめ、グループ各社の財務状況は、優良化していった。

桑山は、自身の後継として、メーンバンクの住友信託銀行から、企業財務の専門家である西山廣一常務を引き抜き、副社長に据えた。桑山は、1993年、社長職を西山に託して、取締役会長に就任。その後、相談役、次いで最高顧問に退いた。

2010年12月、骨髄異形成症候群で死去。享年85。