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| footnotes = [[2012年]]、クラフトフーヅロシア非公開株式会社ソビンカ市工場に吸収再編。
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}}
[[File:Bolshevik.jpg|thumb|250px|売却後の再開発事業で保存修復された旧本社工場([[2015年]])]]
[[File:Bolshevik shop 01.jpg|thumb|250px|本社工場棟に併設されているヴェンスキー・ツェフ社(旧・ボルシェビーク製菓工場第3職場)のケーキ店([[2015年]])]]
[[File:Moscow, Sioux Factories, 1880s-90s, by O-J.Didio (1841-1902).jpg|thumb|250px|A・スィウ&K社時代の本社工場(1880~90年代撮影)]]
 
フランス人のアドルフ・スィウ({{lang|ru|Адольф Сиу}})夫妻が[[1855年]][[11月24日]]にモスクワ市[[トヴェルスカヤ通り]]に製パン店として開業した。[[1861年]]から[[香水]]製造を開始して急成長し、その後[[化粧品]]、[[香料]]、[[石けん]]製造にも進出して事業を急速に拡大した。
 
[[1884年]]に「A・スィウ&K」社({{lang|ru|А. Сиу и К}})として法人化し、サンクトペテルブルク大通り(現・レニングラード通り)にレンガ造りの本社と工場を新設した。モスクワで最初に本格的に電気設備を導入した施設の一つとなった同社工場には、香水事務所のほか、勤務する従業員のための寮や幼稚園、病院、洗濯場が設けられていた<ref name="village">[https://www.the-village.ru/village/business/wherework/275926-bolshevik {{lang|ru|Я работаю в здании фабрики „Большевик“(私は工場施設「ボルシェビーク」で働いています)}}] レーナ・ベレシャーギナ、『The Village』、2017年7月27日</ref>。[[1900年]]にはモスクワのほか、[[サンクトペテルブルク]]、[[キエフ]]、[[ワルシャワ]]に支店を置き、[[馬車]]や[[自動車]]、[[コーヒー]]、[[ココア]]を販売したほか、製菓部門では[[マーマレード]]、[[キャラメル]]、[[ヌガー]]、[[ワッフ]]、[[ケーキ]]、[[生クリーム]]など約2000種類の製品を製造販売ていた。
 
[[1913年]]には菓子の品質の高さが評価されて[[ツァーリ|ロシア皇帝]]の表彰を受け、[[ロマノフ朝]]300年を記念したビスケット「ユビレイノエ」(記念日、{{lang|ru|Юбилейное}})の製造を許された。「ユビレイノエ」はロシアを代表するビスケットブランドとなった。
 
[[十月革命]]後、[[1924年]]にA・スィウ&K社は国有化された。社名は革命おける同社の工場労働者の貢献からモスクワ・ソビエト副議長が選出されたことを記念し、[[ウラジーミル・レーニン]]によっ社名を新たに「[[ボリシェヴィキ|ボルシェビーク]]」に改と命され<ref name="village" />。[[1927年]]に化粧品など菓子製造事業を除く全事業が切り離され、ビスケット類と[[トルテ]]およびロシア[[ケーキ]]小麦粉菓子の専業メーカー「ボルシェビーク製菓工場」に改組。戦後[[1952年]]から工場の[[オートメーション]]化に着手し、[[ビスケット]]職場に独自開発の機器を次々と投入するなどして生産性の向上を図った結果、[[1960年代]]には生産量で[[ヨーロッパ]]最大の製菓工場に成長した。
 
[[1971年]]、第九次[[五カ年計画]]早期達成の功績で[[ソビエト連邦最高会議|ソ連最高会議]]の[[レーニン勲章]]を受章した。[[1970年代]]には、[[日本]]でロシア風菓子の製造販売を手がけていた[[大阪府]][[豊中市]]の[[パルナス製菓]]の招きで、トルテ・ケーキ職場で国家重要行事の記念ケーキ製造を指揮していた[[社会主義労働者英雄|食品業界社会主義労働者英雄]]の女性職長({{lang|ru|бригадиру рабочих}})、イェヴドキヤ・アンドレーヴナ・オージナ({{lang|ru|Евдокия Андреевна Ожина}})<ref>{{lang|ru|"Индустрия нашего стола"}} (週刊誌{{lang|ru|«Огонёк»}}1970年2月7日付1970年第6号, レーニン勲章プラウダ印刷所出版)</ref>が2度にわたり訪日し、ケーキ製法などの技術指導を行った<ref>「日本の企業『パルナス』は工場労働者を招き、社会主義労働者英雄のE・A・オージナが最高の技術を共有するため日本に赴いた」({{lang|ru|Японская фирма «Парнас» приглашает работницу фабрики, Героя Социалистического Труда Е. А. Ожину в Японию для обмена передовым опытом.}}) [http://www.kraft-bolshevik.ru/ru/about/history/ {{lang|ru|История компании}}] (ボルシェビーク公開株式会社公式サイト・社史)</ref>。
 
[[市場経済]]導入後の[[1994年]]、フランス・[[ダノン]]社が出資するボルシェビーク公開株式会社として民営化された。その後[[2007年]]に米[[クラフトフーヅ]]の現地法人、クラフトフーヅロシア非公開株式会社(現・[[モンデリーズ・インターナショナル|モンデリーズ]]ロシア非公開株式会社)が買収し、同社の傘下に入った。そして本社工場のビスケット職場の大半は[[2009年]]、クラフトフーヅロシアがモスクワ東方約180kmの[[ヴラジーミル州]][[ソビンカ]]市に建設した新工場に移転し、同年[[10月14日]]から操業を開始した。
 
A・スィウ&K社時代に建設されたレニングラード通り15番地の本社工場にあったビスケット職場の大半は[[2009年]]、クラフトフーヅロシアがモスクワ東方約180kmの[[ヴラジーミル州]][[ソビンカ]]市に建設した新工場に移転し、同年[[10月14日]]から操業を開始した。その後もレニングラード通りには本社および工場の第4職場(ビスケット製造)、第3職場(トルテ・ケーキ製造)が残り、本社工場併設の店舗でケーキを中心とするボルシェビーク製品の直販を行っていたが、[[2012年]]のモスクワ本社および工場用地売却にともない、第4職場は清算、第3職場は[[2010年]]設立のトルテ・ケーキ製造販売業、ヴェンスキー・ツェフ非公開株式会社({{lang|ru|ООО "Венский цех"}})に事業譲渡して分離独立し、ボルシェビーク社本体はクラフトフーヅロシアに吸収されソビンカ市のビスケット工場はクラフトフーヅロシア・ソビンカ市工場に再編された。
 
現在のモンデリーズロシアではソビンカ市工場を「ボルシェビーク・ビスケット工場」({{lang|ru|Бисквитная фабрика «Большевик»}})と通称しており、旧社から承継したボルシェビークブランドの「ユビレイノエ」シリーズと、モンデリーズブランドの「バーニー」「TUC」「[[オレオ]]」「ベルヴィタ」などのビスケットおよびクラッカー製品を、合わせて年間約9万トン製造している<ref>[https://ru.mondelezinternational.com/about-us/geography {{lang|ru|География}}] モンデリーズロシア非公開株式会社</ref>。
 
一方、旧第3職場の事業を引き継いだヴェンスキー・ツェフ社の社名(ウィーン工房)は、往年のA・スィウ&K社時代のケーキが、洋菓子文化の盛んな[[ウィーン]]のものに並ぶ品質だと評判を呼んだことにちなんで名付けられたもので<ref name="village" />、第3職場時代と同じ旧本社工場棟併設の店舗で、モンデリーズロシアから貸与された「ボルシェビーク」ブランドを掲げ、引き続きタルトおよび伝統的ロシアケーキなどの製造販売を行っている<ref name="village" />。
 
== モスクワ工場跡地の再開発と施設保存 ==
[[2012年]]の本社および工場の売却で、広さ5.4ヘクタールの用地は実業家ボリス・ミンツ傘下の「O1プロパティーズ」社ら2つの企業が取得した。O1プロパティーズ社はのち、本社工場跡地のすべての不動産を取得し、マンションと敷地内部には低層の高級集合住宅やオフィス施設のビルを建設を中心に、用地内に現存する一方、レニングラード通りに面した帝政ロシア時代建設の旧ボルシェビーク本社工場の帝政ロシア時代に建設された3棟についても文化遺産は、レンガ造りの内部構造を生かした特徴あるオフィスビルとして保存活用改築しつつ、外観19世紀の建設当初の姿に修復する再開発事業「ボルシェビーク文化ビジネス複合施設」({{lang|ru|Культурно-деловой комплекс „Большевик“}})プロジェクトを進め、[[2017年]]に竣工し<ref name="village" />
 
竣工時のテナント契約率はモスクワ市内のオフィスビルの平均を上回る70%で<ref name="village" />、一般的なオフィスビルとは性格が異なる施設であることから、計画時にはデザイナーやメディア業界、新興企業、IT関連企業など、クリエイティブ関連産業やその経営者の入居を想定していたが、実際には国際的な大企業や国内の大手国有企業からも強い関心が示されたという<ref name="village" />。
 
同プ旧本社工場棟の修復作業は[[ジェクトンドン]]の建築設計会社掲げる文手がけ、老朽施設とて、かつてた壁面原材料倉庫施[[レンガ]]の修理や交換を行うとともに、国有化以後に改築などで失われた部分を建当初の姿もどす工事が行われた<ref name="village" />。また[[2016年]][[5月]]には、原料の小麦粉を貯蔵していた円形の倉庫施設を活用し、ミンツが収集してきた美術絵画コレクションを展示する'''ロシア印象派美術館'''({{lang|ru|Музей русского импрессионизма}})が開設された。
 
==関連項目==
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