「博多大丸」の版間の差分

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[[1975年]](昭和50年)、[[西日本新聞社]]が[[天神 (福岡市)|天神]]地区の本社を商業施設とオフィスの兼業ビル「'''西日本渡辺ビル'''<ref>参考資料:通産省産業政策局「全国市町村別大規模小売店舗要覧 -第1種大規模小売店舗と商業状況一覧-」1984年。2012年4月17日閲覧</ref>」に建て替えた際、その下層階に移転した。移転当初は[[天神地下街]]とはつながっておらず苦戦したが、専用の通路が完成して以降は[[テレビショッピング]]を通じてTNC[[テレビ西日本]]との関係も強め、福岡市における高級百貨店としての地位を確立した。ただ、TNCには近年[[ジャパネットたかた]]や福岡県内に本社を置く[[トーカ堂]]などが進出したこともあり、TNCでのテレビショッピング放送は無くなっている。[[1997年]]には、東隣の[[再開発]]地区に完成したエルガーラに核テナントとして入居し東館とした。
 
本体が[[松坂屋]]と経営統合したことによる[[J.フロント リテイリング]]社発足に際しては、九州地区の重要拠点として位置づけられ、それ以前から、大丸でも本体に次ぐ存在となっている。このため、経営統合に浮揚のきっかけをつかもうとしていたが、天神のメインストリート[[渡辺通り]]の向かい側にある[[福岡三越]]福岡店と、地元老舗の[[岩田屋]]を完全子会社化した[[伊勢丹]]が、[[2009年]]に「[[三越伊勢丹ホールディングス]]」として経営統合し、連合を組んだ。更に、[[2010年]][[10月1日]]には三越伊勢丹HDSの完全子会社として、新たに[[岩田屋三越]]が発足、岩田屋と三越が完全にタッグを組む形となった。このため、天神地区では、渡辺通りを挟んで2大デパート資本が激突する事態となった。さらには、[[2011年]][[3月]]の[[JR博多シティ]]開業及び、[[九州新幹線]]全線開業を機に核テナントとして[[エイチ・ツー・オー リテイリング]]傘下の[[博多阪急]]([[阪急百貨店]])が参入した。
 
=== 長崎店 ===