「ボルシェビーク (製菓)」の版間の差分
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| trade as =
| industry = [[製造業]]
| genre = [[ビスケット]]・[[ケーキ]]類製造
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| subsid =
| homepage =
| footnotes = [[2012年]]、クラフトフーヅロシア非公開株式会社
| intl =
}}
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==概要==
フランス人のアドルフ・スィウ({{lang|ru|Адольф Сиу}})
[[1884年]]に「A・スィウ&K」社({{lang|ru|А. Сиу и К}})として法人化し、サンクトペテルブルク大通り(現・レニングラード通り)にレンガ造りの本社と工場を新設した。モスクワで最初に本格的な電気設備を導入した施設の一つとなった同社工場には、香水事務所のほか、勤務する従業員のための寮や幼稚園、病院、洗濯場が設けられていた<ref name="village">[https://www.the-village.ru/village/business/wherework/275926-bolshevik {{lang|ru|Я работаю в здании фабрики „Большевик“(私は工場施設「ボルシェビーク」で働いています)}}] レーナ・ベレシャーギナ、『The Village』、2017年7月27日</ref>。[[1900年]]にはモスクワのほか、[[サンクトペテルブルク]]、[[キエフ]]、[[ワルシャワ]]に支店を置き、[[馬車]]や[[自動車]]、[[コーヒー]]、[[ココア]]を販売。製菓部門では[[マーマレード]]、[[キャラメル]]、[[ヌガー]]、[[トルテ]]、[[ケーキ]]、[[生クリーム]]など約2000種類の製品を製造していた。
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[[1913年]]には菓子の品質の高さが評価されて[[ツァーリ|ロシア皇帝]]の表彰を受け、[[ロマノフ朝]]300年を記念したビスケット「ユビレイノエ」(記念日、{{lang|ru|Юбилейное}})の製造を許された。「ユビレイノエ」はロシアを代表するビスケットブランドとなった。
[[1917年]]の[[十月革命]]後、
[[1927年]]に化粧品など菓子製造事業を除く全事業が切り離され、ビスケット類とトルテおよびケーキ類の小麦粉菓子の専業メーカーに改組。戦後の[[1952年]]から工場の[[オートメーション]]化に着手し、[[ビスケット]]職場に独自開発の機器を次々と投入するなどして生産性の向上を図った結果、[[1960年代]]には生産量で[[ヨーロッパ]]最大の製菓工場に成長した。
[[1971年]]、第九次[[五カ年計画]]早期達成の功績で[[ソビエト連邦最高会議|ソ連最高会議]]の[[レーニン勲章]]を受章した。[[1970年代]]には、[[日本]]でロシア風菓子の製造販売を手がけていた[[大阪府]][[豊中市]]の[[パルナス製菓]]の招きで、トルテ・ケーキ職場で国家重要行事の記念ケーキ製造を指揮していた[[社会主義労働者英雄|食品業界社会主義労働者英雄]]の女性職長({{lang|ru|бригадиру рабочих}})、イェヴドキヤ・アンドレーヴナ・オージナ({{lang|ru|Евдокия Андреевна Ожина}})<ref>{{lang|ru|"Индустрия нашего стола"}} (週刊誌{{lang|ru|«Огонёк»}}1970年2月7日付1970年第6号, レーニン勲章プラウダ印刷所出版)</ref>が2度にわたり訪日し、ケーキ製法などの技術指導を行った<ref>「日本の企業『パルナス』は工場労働者を招き、社会主義労働者英雄のE・A・オージナが最高の技術を共有するため日本に赴いた」({{lang|ru|Японская фирма «Парнас» приглашает работницу фабрики, Героя Социалистического Труда Е. А. Ожину в Японию для обмена передовым опытом.}}) [http://www.kraft-bolshevik.ru/ru/about/history/ {{lang|ru|История компании}}] (ボルシェビーク公開株式会社公式サイト・社史)</ref>。▼
▲[[1971年]]、第九次[[五カ年計画]]早期達成の功績で[[ソビエト連邦最高会議|ソ連最高会議]]の[[レーニン勲章]]を受章した。[[1970年代]]には、[[日本]]でロシア風菓子の製造販売を手がけていた[[大阪府]][[豊中市]]の[[パルナス製菓]]の招きで、トルテ・ケーキ職場で国家重要行事の記念ケーキ製造を指揮していた[[社会主義労働者英雄|食品業界社会主義労働者英雄]]の女性職長({{lang|ru|бригадиру рабочих}})、イェヴドキヤ・アンドレーヴナ・オージナ({{lang|ru|Евдокия Андреевна Ожина}})<ref>{{lang|ru|"Индустрия нашего стола"}} (週刊誌{{lang|ru|«Огонёк»}}1970年2月7日付1970年第6号, レーニン勲章プラウダ印刷所出版)</ref>が2度にわたり訪日し、ケーキ製法などの技術指導を行った<ref>「日本の企業『パルナス』は工場労働者を招き、社会主義労働者英雄のE・A・オージナが最高の技術を共有するため日本に赴いた」({{lang|ru|Японская фирма «Парнас» приглашает работницу фабрики, Героя Социалистического Труда Е. А. Ожину в Японию для обмена передовым опытом.}})
[[市場経済]]導入後の[[1994年]]、フランス・[[ダノン]]社が出資するボルシェビーク公開株式会社として民営化された。その後[[2007年]]に米[[クラフトフーヅ]]の現地法人、クラフトフーヅロシア非公開株式会社(現・[[モンデリーズ・インターナショナル|モンデリーズ]]ロシア非公開株式会社)が買収し、同社の傘下に入った。そして本社工場のビスケット職場の大半は[[2009年]]、クラフトフーヅロシアがモスクワ東方約180kmの[[ヴラジーミル州]][[ソビンカ]]市に建設した新工場に移転し、同年[[10月14日]]から操業を開始した。
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現在のモンデリーズロシアではソビンカ市工場を「ボルシェビーク・ビスケット工場」({{lang|ru|Бисквитная фабрика «Большевик»}})と通称しており、旧社から承継したボルシェビークブランドの「ユビレイノエ」シリーズと、モンデリーズブランドの「バーニー」「TUC」「[[オレオ]]」「ベルヴィタ」などのビスケットおよびクラッカー製品を、合わせて年間約9万トン製造している<ref>[https://ru.mondelezinternational.com/about-us/geography {{lang|ru|География}}] モンデリーズロシア非公開株式会社</ref>。
一方、旧第3職場の事業を引き継いだヴェンスキー・ツェフ社の社名(ウィーン工房)は、往年のA・スィウ&K社時代のケーキが、洋菓子文化の盛んな[[ウィーン]]のものに並ぶ品質だと評判を呼んだことにちなんで名付けられた
== モスクワ工場跡地の再開発と施設保存 ==
[[2012年]]の本社および工場の売却で、広さ5.4ヘクタールの用地は実業家ボリス・ミンツ傘下の「O1プロパティーズ」社ら2企業が取得した。O1プロパティーズ社はのち、本社工場跡地のすべての不動産を取得し、敷地内部には低層の高級集合住宅やオフィスビルを建設する一方、レニングラード通りに面した帝政ロシア時代建設の旧ボルシェビーク本社工場の3棟については、レンガ造りの内部構造を生かした特徴あるオフィスビルとして改築しつつ、外観を19世紀の建設当初の姿に修復する再開発事業「ボルシェビーク文化ビジネス複合施設」({{lang|ru|Культурно-деловой комплекс „Большевик“}})プロジェクトを進め、[[2017年]]に竣工した<ref name="village" />。
旧本社工場棟の修復作業は[[ロンドン]]の建築設計会社が手がけ、老朽化した壁面の[[レンガ]]の修理や交換を行うとともに、国有化以後に改築などで失われた部分を建設当初の姿にもどす工事が行われた<ref name="village" />。
竣工時のテナント契約率はモスクワ市内のオフィスビルの平均を上回る70%で<ref name="village" />、一般的なオフィスビルとは性格が異なる施設であることから、計画時にはデザイナーやメディア業界、新興企業、IT関連企業など、クリエイティブ関連産業やその経営者の入居を想定していたが、実際には国際的な大企業や国内の大手国有企業からも強い関心が示されたという<ref name="village" />。▼
▲竣工時のテナント契約率はモスクワ市内のオフィスビルの平均を上回る70%で<ref name="village" />、一般的なオフィスビルとは性格が異なる施設であることから、計画時にはデザイナーやメディア業界、新興企業、IT関連企業など、クリエイティブ関連産業やその経営者の入居を想定していたが、実際には国際的な大企業や国内の大手国有企業からも強い関心が示されたという<ref name="village" />。
▲旧本社工場棟の修復作業は[[ロンドン]]の建築設計会社が手がけ、老朽化した壁面の[[レンガ]]の修理や交換を行うとともに、国有化以後に改築などで失われた部分を建設当初の姿にもどす工事が行われた<ref name="village" />。また[[2016年]][[5月]]には、原料の小麦粉を貯蔵していた円形の倉庫施設を活用し、ミンツが収集してきた絵画コレクションを展示する'''ロシア印象派美術館'''({{lang|ru|Музей русского импрессионизма}})が開設された。
==関連項目==
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