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'''河崎 義祐'''(かわさき よしすけ、[[1936年]][[5月20日]] - )は、[[日本]]の[[映画監督]]である。[[福井市]]の生まれ
 
== 来歴 ==
[[福井県]][[福井市]]生まれ。[[福井県立高志高等学校|県立高志高校]]を[[1955年]]に卒業、[[1960年]]に[[慶應義塾大学]][[経済学部]]卒業後、[[東宝]]に入社。当初は宣伝部に勤務していたが、[[1962年]]に製作部に転属。[[黒澤明]]の『[[どですかでん]]』、[[加藤泰]]『[[日本侠花伝]]』、[[岡本喜八]]『[[日本のいちばん長い日]]』、[[森谷司郎]]『[[大空戦]]』など、約40作品の[[助監督 (映画スタッフ)|助監督]]を務めた。[[1975年]]、『[[青い山脈_(映画)#1975年版|青い山脈]]』で監督に昇格。同作で第1回[[大阪市民映画祭]]新人監督賞を受賞した。翌[[1976年]]公開の『[[挽歌_(小説)#1976年版|挽歌]]』では、主演の[[秋吉久美子]]が[[アジア映画祭]]主演女優賞を受賞。以降、多くの[[アイドル]]映画を手掛けた。東宝配給ながらホリ企画制作が一貫して日活へ制作外注していた山口百恵主演シリーズにも東宝監督としては初めて招かれ、『炎の舞』で日活撮影所に赴いている。[[1983年]]に東宝を退社してフリーに。[[1985年]]、「銀の会」設立。
 
現在は[[特定非営利活動法人]]「シネマネットジャパン」代表者。映画館に足を運べない老人のために「出張上映サービス」を行っている。[[長野県]][[安曇野市]]在住
 
== 監督作品 ==