「奥州探題」の版間の差分

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しかし、もともと奥州では有力国人が各郡の[[軍勢催促]]、[[軍忠状]]証判・注進、[[使節遵行]]など守護並みに強い権限を持っている上に、南半は鎌倉府の分身である笹川・稲村御所に押さえられ、内にも[[伊達氏]]や[[蘆名氏]]などは京都扶持衆として幕府と直接結びつき、強力な支配は不可能であった。それらの有力国人は、自己が支配する各郡を領国化し、次第に戦国大名化する。それに対抗するために[[大崎氏]]も自己の直接支配領域を領国化し、一有力国人へと零落していった。
 
 
==伊達氏が奥州探題となる==
[[大永]]11年([[1514年]])、[[伊達稙宗]]が陸奥国[[守護]]職に任ぜられた。これにより、大崎氏が世襲する奥州探題制は無力化し事実上終焉する。その後伊達氏は大崎氏を武力で圧倒して支配下に置くようになる。