「木村迪夫」の版間の差分

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m (link 原村政樹)
 
==経歴==
[[山形県]][[上山市]][[牧野]]生まれ。本名・廸男。5人兄弟の長男として生まれ、父を小学校4年の時、戦争によって失った<ref name=asahi>「ニッポン人脈記 百姓のまなざし 8 ことばの自作農になれ 村の盛衰見つめる詩人」『朝日新聞夕刊』 2006年7月20日</ref>。
 
山形県立上山農業高等学校(後の[[山形県立上山明新館高等学校]])[[定時制]]課程卒業。[[山びこ学校]]出身の[[佐藤藤三郎]]は同級生。高校時代から詩を書き始め、文化祭で登壇した農民詩人の[[真壁仁]]による[[宮沢賢治]]をテーマにした講演に感銘を受け、卒業式の日、真壁を訪ねて「詩を書き続ける」と誓った<ref name=asahi />。[[1957年]]には真壁が創刊した同人誌『地下水』に参加する<ref>{{cite news |title=土に根ざし半世紀「地下水」廃刊の危機|author= |agency=|publisher=河北新報|date=2015-11-5|url=http://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201511/20151105_55004.html|accessdate=2016-11-26}}</ref>。
 
卒業と同時に[[サクランボ]]の自営農に従事。20代では[[青年団]]活動の中心メンバーとして多くの社会運動に参加するが、農業のみでの[[自活]]は苦しく、農閑期には静岡のミカン畑、東京の工事現場へと[[出稼ぎ]]に出た<ref name=asahi />。[[1971年]]、コメ[[減反政策]]推進を機に廃棄物処理業との[[兼業農家]]に転身する<ref>[http://www.eiga-muon.net/muon-3.html 無音の叫び声 プロフィール]</ref>。処理業のため購入した中古の2トントラックには「[[人民のために尽くす|人民服務]]号」の文字塗装を施した。その後、[[小川紳介]]監督の[[ドキュメンタリー映画]]である『牧野村物語』に関わり<ref>『現代日本人名録』</ref>、また[[原村政樹]]監督の長編記録映画『無音の叫び声 農民詩人・木村迪夫の牧野物語』も製作された<ref>[http://www.eiga-muon.net/muon-1.html 無音の叫び声 製作にあたって]</ref>。同作は第31回農業ジャーナリスト賞を受賞<ref>{{cite news |title=埼玉)雑木林と人々を農業映画に 原村監督が撮影中|author= |agency=|publisher=朝日新聞|date=2016-5-19|url=http://www.asahi.com/articles/ASJ5F5HZQJ5FUTNB01K.html|accessdate=2016-11-26}}</ref>。
 
山形を拠点に長年活動し続けてきた農民詩人として、思想性の高い詩集を発表。農業と廃棄物処理業の経験をもとにした社会批判的な[[エッセイ]]や[[ルポルタージュ]]も書く<ref>[http://www.pref.yamagata.jp/ou/kikakushinko/020073/bunkasinko/41-50.html#143 斎藤茂吉文化賞選評]</ref>。上山市[[教育委員会]][[教育委員]]、[[社会教育委員]]も務めた。
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