「タイツ」の版間の差分

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== 歴史的服飾 ==
[[ファイル:Louis XIV of France.jpg|thumb|150px|[[ルイ14世 (フランス王)|ルイ14世]]。白いショースを着用している]]
*歴史的には[[中世]][[ヨーロッパ]]で[[ショース]](ホーズ)と呼ばれる下半身を包む[[股引]]状の衣服が男性用に広く着用された。これは[[乗馬]]や運動のしやすさや防寒性の必要からの形状であり、現代のタイツの元祖といえるものだが、階層によって様々な形状のものが着用された。[[農民]]階級には左右が縫い合わせられておらず、通常は紐で腰に結んでおき、労働時には畳んで長靴下状にして激しい運動を行うというもの、[[商人]]・都市[[住民]]用につま先がないもの等さまざまな形状のホーズが存在し、素材も[[絹]]、[[毛織物]]から、より粗末な素材と多岐に渡った。[[イングランド]]の[[ヘンリー8世 (イングランド王)|ヘンリー8世]]の時代には、ショース(ホーズ)の[[ふくらはぎ]]部分に詰め物をして、足を美しく見せるといった流行もあった。
 
*伸縮性を持つ素材がほとんど存在しなかったため、今日のタイツ同様、下半身を一体で包む形状のものは、着用者の体格に合わせて織り上げる高価なものであり、結果的に経済力に余裕のある[[王族]]・[[貴族]]や[[ギルド]]の幹部など一部富豪しか着用できなかった。<ref>あすなろ書房『中世ヨーロッパ入門(「知」のビジュアル百科)』ISBN 978-4751523254</ref>
 
*[[1963年]]、アメリカで世界初のパンティストッキングが開発され、発売された。これは全米の女性の間で大ブームとなったものの、日本では輸入品だったため、希少かつ高価で庶民には広まらなかった。その後、厚木ナイロン工業(現[[アツギ]])の創業者である堀禄助がアメリカから取り寄せたパンティストッキングを元に開発を進め、[[1968年]]に初の国産品の製造に着手する。それ以来、日本の女性の間でも大ブームとなり、透明性と着用感を商品開発の主流として来た。当時は伝線したものを修理する業者なども存在した程、高級品でかつ稀少なものであったが「女性とパンティストッキングは日増しに強くなった」と形容される程、量販態勢になり普及品となり、また技術の進化で伝線や劣化のし難い商品が開発される様になり、社会人女性の通年の防寒用靴下としてや、女子学生[[制服]]の冬の寒さ対策として用いられている。
*タイツは[[19901963]]前半まで女子中学生・高校生にとってアメリカで世界初身近なファパンティストショとして愛用グが開発されていたが発売さ以降た。これは全米生脚女性の間で大ブームとなったも到来の、日本では輸入品だったため、希少かつ高価で庶民は広まらなかて社会人女性や一部の学校た。そ制服冠婚葬祭厚木ナイロン工業(現[[アツギ]])場面創業者しか着用す機会や関心堀禄助ない時代が続いアメリカから取り寄せ(1990年代後半以降パンティストッキングを元おいては開発を進め、[[ルーズソックス1968年]]に初の国産品の製造に着手する。それ以来、日本の女性の間でも大ブームが到となり、透明性と着用感を商品開発の主流としてた。当時は伝線したこと遠因であのを修理す)。しか業者なども存在た程近年高級品でかつ稀少なもであったが「女性とパンティスト・タイツブームッキングは日増し強くなて再び中学生・高校生から社会人女性た」と形容される程、量販態勢になり普及品となり、また技術タイツを履く機会進化で伝線関心劣化のし難い商品戻って来た。開発される様になり、社会人女性の通年の防寒用靴下としてや、女子学生[[制服]]の冬の寒さ対策として用いられている。
 
タイツは[[1990年代]]前半まで、女子中学生・高校生にとっての身近なファッションとして愛用されていたが、それ以降の生脚ブームの到来によって社会人女性や一部の学校の制服、冠婚葬祭の場面でしか着用する機会や関心がない時代が続いた(1990年代後半以降においては[[ルーズソックス]]ブームが到来したことも遠因である)。しかし、近年のパンスト・タイツブームによって再び中学生・高校生から社会人女性のタイツを履く機会や関心が戻って来た。社会人女性の通年の防寒用靴下としてや、女子学生[[制服]]の冬の寒さ対策として用いられている。
 
== 脚注 ==