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孫文は[[日本]][[亡命]]時代には[[東京府]]の[[日比谷公園]]付近に住んでいた時期があった。公園の界隈に「中山」という邸宅があったが、孫文はその門の表札の字が気に入り、自身を'''孫中山'''と号すようになった。日本滞在中は「中山 樵(なかやま きこり)」を名乗っていた。なお、その邸宅の主は[[貴族院 (日本)|貴族院]]議員の[[中山孝麿]][[侯爵]]で、孝麿の叔母[[中山慶子]](中山一位局)は[[明治天皇]]生母である<ref>[[拳骨拓史]]『「反日思想」歴史の真実』</ref>。
 
広東省に位置する[[中山市]]、中華人民共和国を代表する[[大学]]のひとつである[[中山大学]]、[[南極大陸]]の[[中山基地]]、そして現在[[台湾]]や[[中国]]にある「[[中山公園]]」、「中山路」など「中山」がつく路名や地名は孫文の号・孫中山からの命名である。
 
== 生涯 ==