「野村義男」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
タグ: モバイル編集 モバイルウェブ編集
126.141.232.109 (会話) による ID:69157769 の版を取り消しWikipedia:検証可能性を満たさない加筆)、出典追加、1年以上出典が出ない記述の除去、本文で記載済みの関連項目除去
タグ: 取り消し
28行目:
}}
'''野村 義男'''(のむら よしお、[[1964年]][[10月26日]] - )は、日本の[[ギタリスト]]、[[音楽プロデューサー]]、[[ナレーター]]、元[[アイドル]]、[[俳優]]。[[東京都]][[中野区]]出身<ref name="funmee">{{Cite interview|subject=野村義男|interviewer=平石ゲル|url=https://funmee.jp/articles/336be7f6cee7bff22f205b154a49e3575b0e042d|title=ギターのない人生なんてありえない! 野村義男さんのギター愛|date=2017-12-01|program=Funmee!!|accessdate=2017-12-16}}</ref>。[[ABO式血液型|血液型]]はA型。
愛称は'''よっちゃん'''<ref name="funmee" />。
愛称は'''よっちゃん'''<ref name="funmee" />。{{要出典範囲|(当初の愛称は'''ヨシ'''だった。)また、後輩からは「ヨッちゃんさん」と呼ばれることがある。自らは「よちを」と呼ぶことが多い。[[RIDER CHIPS]]のライブではメンバー紹介の際、[[Ricky]]に「野村義男!ワルオ!」と自分を紹介させている(ちなみに、Rickyの事を「リキオ」と呼んでいる)|date=2017年5月}}。
 
[[ジャニーズ事務所]] → ジャニーズ出版 → 「コンポジラ」所属。
53行目:
: メンバーは、ドラムが[[村上秀一|村上“ポンタ”秀一]]、ベースが[[水野正敏]]。
; [[浜崎あゆみ]]のバックバンド
: デビューの[[1998年]]から現在に至るまで活動している浜崎のバックバンドでギターを担当<ref>{{Cite news | title = 浜崎あゆみデビュー20周年ツアー、野村義男も祝福| newspaper = [[日刊スポーツ|nikkansports.com]]| date = 2018-04-18| url = https://www.nikkansports.com/entertainment/news/201804080000697.html| accessdate = 2018-07-08}}</ref>。最初はテレビ出演時のみのバックバンドだったが、[[1999年]]の「secret live」からコンサートでもバックを担当するようになった。メンバーは、キーボード:宮崎裕介・清水俊也、ドラム:[[江口信夫]]、ベース:[[ENRIQUE|エンリケ]](元・[[BARBEE BOYS]])、コーラス:[[濱田“Peco”美和子]]・[[山崎陽子|山崎"プリンセス”洋子]]、ギター:野村義男。<!--以前キーボード担当だった小林信吾は、現在コンサートの音楽監修としてリーダー的な存在であるが、近年でもピアノなどを担当することもある。-->
; [[FUNK ROCKET]]
: 1998年末結成。ボーカルは元「[[D.T.R]]」の[[竹内光雄]]。他のメンバーは、[[高橋ロジャー和久]]、[[力石理江]]、TAKA、[[種子田健]]、[[小野かほり]]。<!--著名なアーティストのツアーサポートやレコーディングをこなしている強者を揃えたSuper Project。-->
75行目:
== 来歴 ==
* 姉の影響で小学校5年時から[[フォークギター]]を始める<ref name="realsound_20150719_1">{{Cite interview|subject=野村義雄|interviewer=冬将軍|url=http://realsound.jp/2015/07/post-3938.html|title=野村義男が語る、ギターコレクターの心得「どんなギターにも、それぞれ全部に意味がある」(1ページ目)|date=2015-07-19|program=Real Sound|accessdate=2017-05-10}}</ref>。実家は[[バイク]]屋<ref name="realsound_20150719_1" />。
* [[代々木公園]]にあったゴーカート乗り場で遊んでいた時に、[[川崎麻世]]らを連れて歩いていた[[ジャニー喜多川]]の目に留まり英語でスカウトされたことがきっかけで、12歳で[[ジャニーズ事務所]]に入る<ref>{{Cite web| title = 野村義男、芸能界入りはジャニー喜多川のスカウト「英語で話しかけてきた」| publisher = クランクイン!!| date = 2016-01-20| url = http://www.crank-in.net/entertainment/news/40953| accessdate = 2016-02-04}}</ref><ref name="dogatch20160120">{{Cite web| url = https://dogatch.jp/news/tbs/37256/detail/ | title = 近藤真彦ら支える“ヨッちゃん”こと野村義男のギターコレクションがすごい| date = 2016-01-20| publisher = [[テレビドガッチ]]| accessdate = 2018-07-08}}</ref>。
* 同年、[[ジャニーズJr.]]の古川清隆らと「[[ジャニーズ少年団]]」というグループを結成。『[[小さなスーパーマン ガンバロン]]』の主題歌をリリース。
* [[1979年]]、15歳の時に[[TBSテレビ|TBS]]『[[3年B組金八先生]]』に出演して一気にブレイク<ref name="dogatch20160120" />。以後、[[田原俊彦]]、[[近藤真彦]]らとともに「[[たのきんトリオ]]」として活躍する<ref name="dogatch20160120" />
* [[1982年]]、スペシャルドラマ『[[ボクの音楽武者修行]]』で若き日の小澤征爾役を演じる。<!--現役のポップス系アイドルによる、クラシックの指揮者役は当時としては異例であった。-->
* [[1983年]]6月、アルバム『待たせてSorry』でソロレコードデビュー。
* 同年、バンドグループ「'''[[The Good-Bye]]'''」を結成<ref name="T-SITE20161123">{{Cite web| title = 野村義男「Charに出会ってなかったらエレキもこれほどまでにハマらなかった」「不滅の名盤 」×「MUSIC SOUP -45r.p.m.-」| work = T-SITEニュース エンタメ | publisher = TSUTAYA| date = 2016-11-23| url = http://top.tsite.jp/entertainment/j-pop/i/32444071/| accessdate = 2017-05-10}}</ref>。ジャニー喜多川は、田原俊彦や近藤真彦のようにレコードデビューをさせて、たのきんトリオ全員を歌手として大成させたいと考えており、野村にも早い時期からデビュー話を熱心に説いていた。しかし、野村は当時から将来はギタリストとして活動することを考えており、プレイヤー志向が強かったため、アイドル歌手としての活動にも興味がなかった。それでもレコードデビューをと食い下がる<ref>当時、ジャニーズ事務所のタレントに俳優業だけで所属している者は稀であった。また、既に知名度もあり、周囲も野村の歌手活動を心待ちにしていた背景も影響している。</ref>ジャニー喜多川に対し、「バンド形式なら」「自分がメインボーカルではなく、ツインボーカル形式なら」などの条件を次々と提示したところ、いずれも快諾されたため、野村の本格的なデビューが決定する。TBS『[[ザ・ベストテン]]』にて、20位以内にランキングしたため、「今週のスポットライト」に初登場。[[近藤真彦]]からは「これが最初で最後の出演」と茶化されてしまった(事実、その後一度もランキングされなかったというエピソードがある)。一方、[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]『[[ザ・トップテン]]』では、『涙のティーンエイジ・ブルース』、『YOU惑MAY惑』等の曲がトップテン内にランクインされた他、ラジオ番組などでもランキングされていた。尚、1983年の各音楽賞レースでは最優秀新人賞を受賞している。
* [[1990年]]、[[The Good-Bye]]活動休止後、26歳の時に[[ジャニーズ事務所]]を退社から独立<ref name="dogatch20160120" />、系列子会社「ジャニーズ出版」に移籍。後に「コンポジラ」移籍した。
* その後、ギタリストとしての仕事が比重の大半を占める。また、作曲・編曲・[[プロデューサー]]なども務めるようになった。[[1992年]]には[[ジョニー吉長]]のソロツアーに参加。[[1998年]]からは[[浜崎あゆみ]]のバックバンドでギタリストを務めている。また[[2000年]]からは「[[chee's]]」というグループのバックにも付いた。[[2001年]]からは世良公則とも不定期に活動している(バンド「GUILD9」及びアコースティックユニット「音屋吉衛門」にて)。
* [[2003年]]、The Good-Byeとしての活動も再開し、2003年、2007年、2008年にはツアーも行われ、[[2013年]][[11月17日]]、[[国際フォーラム]]にて、The Good-Bye、デビュー30周年ライブ行われ、その際に、野村本人から、会場に来ている皆に「The Good-Byeは、解散しません」と、宣言をした。
88行目:
 
==人物・エピソード==
* {{要出典範囲|飄々とした性格で物怖じしないが、天然ボケな部分もあり、真顔で冗談や下ネタをいう。二人の娘がおり子煩悩である。面倒見がよく、周囲からの評判が非常に良く、ギターの腕前も確かなことから「また一緒に仕事をしたい」というアーティストが多い|date=2017年5月}}。
* [[1986年]]、音楽雑誌『[[ロッキンf]]』誌にて当時[[ANTHEM]]のギタリストだった[[福田洋也]]との対談がきっかけで意気投合。以後、親交を深めることになり、お互いのコンサート会場の楽屋訪問に足を運ぶ機会が多くなった(1999年に[[カーマイン・アピス]]がリリースした「GUITAR ZEUS」にて福田と共に共演している)。
* {{要出典範囲|[[1980年代]]後半、[[毎日放送]]で放送された『[[4時ですよーだ]]』や、[[讀賣テレビ放送|読売テレビ]]の『[[ざまぁKANKAN!]]』など、関西ローカル番組のハガキネタで「うちのテレビ、10チャン8チャン6チャン映るのに、ヨッちゃん映らへん」といったネタや、「コンビニエンスストアやファーストフード店などでバイトしているのを目撃した」、「[[光GENJI]]のローラースケート磨きをやっている」といった都市伝説(本人はキッパリと否定)が語られたり、同じく毎日放送の深夜番組『働けダウンタウン』に出演した際に、新聞のテレビ欄で「働け 野村義男」と短縮されて表記された事が、面白おかしく語られることがあった|date=2017年5月}}。
* ジャニーズにはオーディションではなくスカウトであり、姉が喜んでいたという理由だけで入所したため、当初から芸能界で食べて行こうとは考えておらず、将来はギタリストか実家のバイク屋を継ぐと決めていたため、ダンスレッスンは3回ほど行っただけだった。たまたま歳が同じ田原と近藤とドラマに出演した事がきっかけで、気付いたらデビューしていた。元アイドルという事は隠しておらず、質問されれば答えるが、自ら進んで話す事はない。
* 「ジャニーズ時代はモテたのでは?」という質問に対して「今考えたらモテていたけれど、当時は女の子と遊ぶよりギターの練習をしたかった。勿体無いと思うけど、その時間があったからプロのギタリストになれたし、奥さんにも出会えたから結果的には良かったと思う。」と語った。
* {{要出典範囲|[[1992年]]発表のアルバム『440Hz with <Band of joy>』のジャケットで共演した元人気[[AV女優]]の[[野坂なつみ]]と[[1995年]]に結婚。夫人が元AV女優ということでマスコミから興味本位で取材されるが、夫人の過去を知った上で受け止める覚悟があると述べ、その潔い対応は好印象で迎えられた。しかし記者会見を行った日は[[阪神・淡路大震災]]が起きた[[1月17日]]であったため、スポーツ新聞や週刊誌はあまり紙面を割かなかった。また、未曾有の事態が起きているさなかにハレの会見を行うのは、配慮が欠けているのではないかとバッシングに近い記事も多数あった。なお交際発覚当時、マスコミへ「たのきんトリオの中で最初に結婚することになるでしょう」とコメントを出していたが、実際には前年[[1994年]]に[[田原俊彦]]が先に結婚をした|date=2017年12月}}。
* 自他共に認めるギターマニア<ref name="funmee" />であり、{{要出典範囲|電話越しに簡単なスペックを言えば年代、相場などを概算できるというエピソードがあるほど。またギターの改造や[[リペア]]なども自分で行う。塗装を塗り替えはもとより、ギターの[[指板]]のポジションマークの[[インレイ]]まで変える高度な技術を持つ。[[野口五郎]]から譲り受けた[[フェンダー (楽器メーカー)|フェンダー]]・[[フェンダー・ムスタング|ムスタング]]を[[ペイズリー]]柄の紙を貼って[[リフィニッシュ]]してしまったのがばれて、本人に怒られたという武勇伝がある|date=2017年12月}}。2016年の時点で所有しているギターの中で最も高額なのはビンテージギターの最高峰「ギブソン レスポール 1959」<ref name="dogatch20160120" />
* {{要出典範囲|[[福田洋也]]と共に「和製[[エドワード・ヴァン・ヘイレン]]」と言われることがある。顔立ちも二人揃ってエディに似ているとネタにされることがある|date=2017年5月}}。
* 自他共に認めるギターマニア<ref name="funmee" />であり、{{要出典範囲|電話越しに簡単なスペックを言えば年代、相場などを概算できるというエピソードがあるほど。またギターの改造や[[リペア]]なども自分で行う。塗装を塗り替えはもとより、ギターの[[指板]]のポジションマークの[[インレイ]]まで変える高度な技術を持つ。[[野口五郎]]から譲り受けた[[フェンダー (楽器メーカー)|フェンダー]]・[[フェンダー・ムスタング|ムスタング]]を[[ペイズリー]]柄の紙を貼って[[リフィニッシュ]]してしまったのがばれて、本人に怒られたという武勇伝がある|date=2017年12月}}。
* 「マンションが買えるほど」の高額なギターを所有しているが、{{要出典範囲|家のローンがまだあるため、妻には内緒にしているという。しかし、本人は「値段が高くても良いか悪いかわからない」「あんまり触らないからわからない」と語っているが、詳しく語れるため冗談と思われる|date=2017年5月}}。
*300本を超えるギターコレクションを一冊の写真集にまとめた本『野村義男の“思わず検索したくなる”ギター・コレクション』が2015年6月25日に<ref name="realsound_20150719_1" />、同シリーズ『野村義男の“足の踏み場もない”エフェクター・コレクション』が2016年1月25日に発売。
* ギターのみならず[[ウクレレ]]にも造詣が深く、ウクレレのみで構成したインストアルバム『Ukulele for Christmas』も発表している。
* 自称、[[エアギター]]撲滅委員会委員長。本人曰く、'''「[[ギター]]を弾こう! 空気を弾くな!」'''。
* ギタリストの[[Char]]を敬愛し<ref name="T-SITE20161123" />、また師事している。師匠・弟子と呼ぶ間柄である。
* ジャニーズ事務所を既に退社しているが、{{要出典範囲|ジャニーズの関連会社経由での円満退社だったことや、近藤と非常に仲が良いため、ジャニーズ系タレントともTV等で共演している。また、近藤が主催するジャニーズのロック好きの後輩を集めたロックだけのライブでもギタリストとして参加している。退社後もジャニーズに多数楽曲提供している|date=2017年12月}}。
* {{要出典範囲|自身の出世作の『金八先生ファイナル』にも出演依頼が来たが、収録当日のスケジュールの都合がつかず出演は辞退した|date=2017年5月}}。
* {{要出典範囲|ギタリストとして有名なため、「今の若い子にマッチと同じグループだったって言っても冗談にしか思われない」と話している。また、ギタリストとしての活動が長いため、久々に1人でバラエティー番組のゲストに呼ばれた際に、モニターの位置がわからずキョロキョロしてしまうこともしばしばあるという|date=2017年5月}}。
* [[仮面ライダー]]の大ファンであり、ファンからもらったピックに仮面ライダーがプリントしてあり、自分のモデルピックで制作したいと考え、[[東映]]や[[石森プロ]]に自ら足を運び「いかに自分が仮面ライダーが好きか」を何時間も語り、実現した。さらに仮面ライダーシリーズ唯一の公式バンド「[[RIDER CHIPS]]」も結成している。
 
348 ⟶ 340行目:
 
== 関連項目 ==
* [[小泉今日子]]
* [[Char]]
* [[浜崎あゆみ]]
* [[世良公則]]
* [[デーモン閣下|デーモン小暮閣下]]
* [[福田洋也]]
* [[マーティ・フリードマン]]
* [[渡辺英樹加賀八郎]]
* [[東京都出身の人物衛藤浩]]
* [[THE GOOD-BYE]]
** [[曾我泰久]]
** [[加賀八郎]]
** [[衛藤浩一]]
* [[RIDER CHIPS]]
 
== 外部リンク ==