「手野のスギ」の版間の差分

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[[File:Teno no Sugi 2.jpg|thumb|手野のスギの戦前の写真。]]
'''手野のスギ'''(てののスギ)は、[[熊本県]][[阿蘇市]]一の宮町手野の[[国造神社]]境内に生育していた[[スギ]](杉)の[[巨樹|巨木]]である<ref name="天然記念物事典116">『天然記念物事典』、116頁。</ref><ref name="日本の天然記念物151">『日本の天然記念物』、151頁。</ref>。国造神社の祭神である[[速瓶玉命]](はやみかたまのみこと)手植えの木と伝えられ、推定の[[樹齢]]は1000年以上とも2000年ともされていた<ref name="天然記念物事典116"/><ref name="日本の天然記念物151"/><ref name="熊本県庁による国造神社の説明">[http://www.pref.kumamoto.jp/site/arinomama/kokuzoujinja.html 国造神社(こくぞうじんじゃ)阿蘇市] {{webarchive|url=https://web.archive.org/web/20131216040533/http://www.pref.kumamoto.jp/site/arinomama/kokuzoujinja.html |date=2013年12月16日 }} 熊本県庁ウェブサイト、2013年6月10日閲覧。</ref><ref name="写真満載九州観光による国造神社の説明">[http://www.yado.co.jp/kankou/kumamoto/aso/kokuzouj/ 国造神社(熊本県阿蘇市)] よかとこBY 写真満載九州観光、2013年6月10日閲覧。</ref>。[[1924年]]([[大正]]13年)に国の[[天然記念物]]に指定されたが、[[1991年]]([[平成]]3年)の[[台風]]被害で主幹が折損し、その後枯死が確認されたため[[2000年]](平成12年)に天然記念物の指定を解除されている<ref group="注釈" name="国指定天然記念物のスギ">国の天然記念物に指定されていたスギでは、[[静岡県]][[島田市]]の「[[智満寺の十本スギ]]」(10本のうち子持スギ、開山スギ、頼朝スギが枯死または倒壊)、[[富山県]][[高岡市]]の「[[北般若の毘沙門スギ]]」(1974年の台風で倒壊)、[[兵庫県]][[養父市]]の「妙見の大スギ」(1991年に手野のスギと同じく台風19号により倒壊)などが失われている。</ref><ref name="天然記念物事典116"/><ref name="日本の天然記念物151"/><ref name="熊本県庁による国造神社の説明"/><ref name="天然記念物の解除(文化庁)">[http://www.bunka.go.jp/1hogo/main.asp%7B0fl=show&id=1000007342&clc=1000011213&cmc=1000007006&cli=1000007317&cmi=1000007325%7B9.html 史跡・名勝・天然記念物<平成12年5月>] [[文化庁]]ウェブサイト、2013年6月10日閲覧。</ref>。
 
== 由来 ==
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手野の集落は、[[阿蘇山|阿蘇]]の外輪山東北の古城ヶ鼻(こじょうがはな)と象ヶ鼻(ぞうがはな)<ref group="注釈">阿蘇地方では、外輪山が[[カルデラ]]内に向かって特に突き出た部分を、「鼻」と呼んでいる。</ref>に挟まれた山のふもとにある<ref name="日本の天然記念物151"/>。集落の一番奥に、国造神社が鎮座している。国造神社は、[[平安時代]]の[[延長 (元号)|延長]]5年([[927年]])にまとめられた『[[延喜式神名帳]]』に「[[肥後国の式内社一覧|肥後国四座]]」の1つとして記された熊本県内でも最も古い神社の1つである<ref name="日本の天然記念物151"/><ref name="熊本県庁による国造神社の説明"/><ref name="写真満載九州観光による国造神社の説明"/>。
 
国造神社は阿蘇を開拓した[[健磐龍命]](たけいわたつのみこと)の長子である速瓶玉命とその后[[雨宮媛命]](あまみやひめのみこと)、そしてその子[[高橋神]](たかはしのかみ)と[[火宮神]](ひみみやのかみ) の4柱を祭神として祀る<ref name="熊本県庁による国造神社の説明"/><ref name="写真満載九州観光による国造神社の説明"/>。[[阿蘇神社]]から見て北方にあるため、「北宮」とも称され、現在の社殿は[[寛文]]13年([[1673年]])に肥後藩主[[細川綱利]]の命によって造営されたものである<ref name="熊本県庁による国造神社の説明"/>。祭神の速瓶玉命は、父の健磐龍命とともに阿蘇を開拓した神といわれる<ref name="熊本県庁による国造神社の説明"/>。「阿蘇宮由来略[[国造本紀]](肥後国誌に記載)という文書によるとれば、[[崇神天皇]](第10代[[天皇]])代に速瓶玉命は初代[[阿蘇[[国造]]に任命されたという記述があり、国造神社という祭神のこのこと地位に由来するという<ref name="熊本県庁による国造神社の説明"/><ref>日本歴史地名大系44『熊本県の地名』[[平凡社]]、1985年、310頁。</ref>
 
境内は広く、スギやヒノキなどの巨木が数多く見られる<ref name="日本の天然記念物151"/>。境内広場の東の隅に、1本の直幹が屹立してそびえ立った状態でひときわ目立つ巨大なスギがあった<ref name="天然記念物事典116"/>。このスギが手野のスギで、[[1981年]](昭和56年)刊行の『天然記念物事典』によると、高さは約47メートル、根元の周囲約14.40メートル、目通り幹囲<ref group="注釈">人間の目の高さ付近で測った樹木の幹まわりの寸法を指す。</ref>約11メートルを測り、幹の南側約13.60メートルの高さのところにサクラの木が1本着生していた<ref name="天然記念物事典116"/>。