「ヘンリー・アリンガム」の版間の差分

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[[ユトランド沖海戦]]の前、アリンガムは海軍の[[トロール船]]「キングフィッシャー」を参戦させるよう頼んだ<ref>{{cite web|url=http://www.raf.mod.uk/news/archive.cfm?storyid=72FA6D51-1143-EC82-2E02D1E42DF97199| title=RAF's oldest hero |publisher=RAF| accessdate=11 November 2008|archiveurl=http://collections.europarchive.org/tna/20081108104809/http://www.raf.mod.uk/news/archive.cfm?storyid=72FA6D51-1143-EC82-2E02D1E42DF97199|archivedate=11 August 2008}}</ref>。船には水上機の[[ソッピース タブロイド]]を搭載させ、ドイツ軍の[[大洋艦隊]]を捜索できるようにするつもりだった。しかし、キングフィッシャーはすぐには参戦しなかった。
 
[[1917年]]9月、現在の兵長に当たる地位になったアリンガムは現在の空軍第212戦隊の一員として[[第一次世界大戦]]の[[西部戦線 (第一次世界大戦)|西部戦線]]に送り込まれた。この部隊は同戦線に駐留する他の空軍部隊のトレーニング部隊になったが、戦闘作戦に参加したという証言もある。アリンガムが[[フランス]]、[[ノール県]]のプティット=シントに到着したとき、[[イギリス陸軍航空隊]] (RFC) とRNASはそろって[[パッシェンデールの戦い]]に巻き込まれていた。アリンガムは第一次大戦で最初に航空機に偵察カメラを取り付けた一人になった<ref name="portraits">{{cite web|url=http://www.portraits.co.uk/henrystory.html|archiveurl=https://www.webcitation.org/5TlxFaDry?url=http://www.portraits.co.uk/henrystory.html|title=A portrait of Henry Allingham|publisher=portraits.co.uk|date=December 2005|archivedate=2007年12月1日|accessdate=19 July 2009|deadurldate=2017年9月}}</ref>。同年[[11月3日]]、アリンガムは[[ダンケルク]]の空港に送られ、終戦まで航空機の修理業務に励んだ。彼は後にそこでの陸と海からの砲撃と空からの爆撃を回想していた<ref name="Omer"/>。
。同年[[11月3日]]、アリンガムは[[ダンケルク]]の空港に送られ、終戦まで航空機の修理業務に励んだ。彼は後にそこでの陸と海からの砲撃と空からの爆撃を回想していた<ref name="Omer"/>。
 
[[1918年]][[4月1日]]にRFCとRNASが統合され[[イギリス空軍]] (RAF) が誕生するとアリンガムはそこの所属になった。しかし、それは彼にとって対したことではなく、「あの時はまだ自分自身を海軍の男だと見做していた」とも回想している<ref name=A&G_113>Allingham and Goodwin, p. 113</ref>。空軍ではリガー・アエロ、2等機上整備員という職位に就き、208317という新しいサービスナンバーが与えられた。その後、1919年2月に帰郷し、4月16日に正式に空軍予備隊を除隊になった<ref name="Omer"/>。
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|url=http://www.independent.co.uk/life-style/health-and-families/health-news/cigarettes-whisky-and-wild-wild-women-1710744.html
|title=Cigarettes, whisky, and wild, wild women |work=The Independent
|date=20 June 2009
|accessdate=19 July 2009
|last=Taylor |first=Jerome
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== 受賞 ==
[[File:Offizierskreuz.jpg|100px|thumb|2009年に受章したレジオンドヌール勲章のオフィシエ]]
アリンガムは生前に4個の[[勲章]]・記章を授与された。そのうち2つは第一次大戦の記章であるブリティッシュ・ウォーメダル(第一次大戦の従軍章)とヴィクトリー・メダル(戦捷記章)である。戦捷記章が単独で授与されることはなく、必ずブリティッシュ・ウォーメダルとセットで授与されたため<ref>[[#Duckers|Duckers]] p88</ref>、これら2つの記章の組み合わせは「マット・アンド・ジェフ」と呼ばれた(これに戦役従事の星章を加えたものは「トリオ」と呼ばれる<ref>[[#Duckers|Duckers]] p92</ref>)。実はこの2つの記章は[[国防省 (イギリス)|国防省]]によって取り替えられたもので、オリジナルは第二次大戦のロンドン大空襲で壊してしまったと最近の世界大戦戦没者記念碑でのパレードで分かった<ref>{{cite news|url=http://www.navynews.co.uk/articles/2005/0503/0005032905.asp|title=Navy medals office replaces Allingham's campaign medals|archiveurl=https://web.archive.org/web/20050828075114/http://www.navynews.co.uk/articles/2005/0503/0005032905.asp|date=29 March 2005|archivedate=2005年8月28日|work=Navy News|deadurldate=2017年9月}}</ref>。残る2つは外国のものである。1つはフランスの最高勲章である[[レジオンドヌール勲章]]で、2003年にシュヴァリエを受章し、2009年にはオフィシエに昇格した.<ref>{{cite news|url=http://www.timesonline.co.uk/tol/news/world/europe/article5920601.ece|title=France honours Henry Allingham, 112, the veteran who cannot forget|accessdate=16 March 2009 |last=Malvern |first=Jack |date=17 March 2009 |work=The Times | location=London}}</ref>。
もう1つは首にかけるタイプのサン=オメール黄金メダルで、2004年9月11日にサン=オメールのフリーダム・オブ・ザ・タウンにて与えられた<ref name="Omer"/>。
 
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== 脚注 ==
{{reflistReflist}}
 
== 外部リンク ==
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*[http://news.bbc.co.uk/1/hi/uk/6958420.stm Obituary (BBC)]
*[http://www.storyvault.com/video/view/id/367 Video interviews conducted with Henry Allingham – May 2009 (StoryVault)]
* [http://www.guardian.co.uk/global/2009/jul/18/obituary-henry-allingham Obituary—Henry Allingham—First world war veteran and world's oldest man, ''The Guardian'']
*{{findagrave|39600667}}
 
== 参考資料 ==
*{{Cite book |author=Duckers, Peter |date=2009 |title= British Military Medals - A Guide for the Collector and Family Historian |publisher=Pen & Sword Books Ltd |location=South Yorkshire |id=ISBN 978-1-84415-960-4 |ref=Duckers}}
 
{{先代次代|男性長寿世界一|[[2009年]][[6月19日]] - 2009年[[7月18日]]|[[田鍋友時]]|[[ウォルター・ブルーニング]]}}