「児玉神社 (藤沢市)」の版間の差分

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(神楽殿解体修理を追記)
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[[読売新聞]]大正10年(1921年)7月28日号「大観小観」欄はつぎのように伝える。日露開戦間際の頃、[[参謀次長]]となった児玉は、毎日曜日に[[鎌倉]]の別荘に静養のため出かけた。しかし、面会希望の者たちが鎌倉に押しかけてくるので、こっそり[[江ノ島]]の山中に閉じ籠もり、おもむろに[[シベリア]]の形勢を案じていた。ところが、いつの間にかこの退避先にも「陸軍の諸星や顕官の面々」が押し寄せるので、江ノ島町内では誰であろうかといぶかしんでいると、それが参謀次長児玉源太郎大将と知れて町民は大いに大将を徳とした。そこで「将軍沒後江の島町民は将軍の静養の地を購つて其霊を祀つたが大正七年内務大臣から兒玉神社を公認された」という。
 
[[平成]]28年([[2016年]])5月より、老朽化による倒壊防止のため神楽殿の解体工事が始まる<ref>[http://www.ritouki.jp/index.php/info/20170611/ 日本李登輝友の会]</ref>。[[平成]]30年([[2018年]])7月時点で、解体工事費が不足しており、神社では募金奉賛を呼び掛けている。
 
[[File:児玉神社神楽殿1.jpg|thumb|解体修理中の神楽殿]]
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