「大国主」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
新規ユーザーAitok I (会話) による ID:69201572 の版(多量除去)を取り消し
タグ: 取り消し
Aitok I (会話 | 投稿記録)
663highland (会話) による ID:69213050 の版を取り消し:除去した記述の改善なき再投稿。大部分はノートに転記します。
タグ: 取り消し
1行目:
[[ファイル:Ōkuninushi Bronze Statue.jpg|thumb|right|240px|[[出雲大社]]にある大国主の銅像]]
{{神道}}
'''大国主'''(おおくにぬし)は、『[[古事記]]』『[[日本書紀]]』に登場する[[日本神話]]の[[神]]である。[[国津神]]の代表的な神だが、[[天孫降臨]][[天津神]]に国土を献上したことから「国譲りの神」とも呼ばれ。[[出雲大社]]の祭神。([[天津神]]の主宰神である[[天照大神]]に対し、[[国津神]]の主宰神とされる)。[[出雲大社]]・[[大神神社]]の祭神
 
== 神話における記述 ==
19行目:
大国主は多くの別名を持つ。
 
* 大国主神(おおくにぬし かみ)・大主大神 - [[根国]]から帰ってからの名
* 大穴牟遅神(おおなむち-)・大穴持命(おおなもち-)・大己貴命(おなむち-)・大汝命(おなむち-『[[播磨国風土記]]』での表記)・大名持神(おおなもち-)・国作大己貴命(くにつくりおなむち-
* 八千矛神(やちほこ-) - [[スセリビメ|須勢理毘売]]との歌物語での名
* 葦原醜男・葦原色許男神・葦原志許乎(あしはらしこを) - 根国での呼称
* [[大物主|大物主神]](おおものぬし-)-古事記においては別の神、日本書紀においては国譲り後の別名
* 大魂大神(おほくにたま-)・顕国玉神・宇都志国玉神(うつしくにたま)- 根国から帰ってからの名。現世の[[国魂|国の魂]]の意
* 伊和大神(いわおかみ)[[伊和神社]]主神-『播磨国風土記』での呼称
* 所造天下大神(あめのしたつくらししおほかみ)- 『出雲国風土記』における尊称。
* 地津主大己貴神(くにつぬしおおなむち かみ)・国作大己貴神(くにつくりおおなむちのかみ)- 祝詞『大国神甲子祝詞』での呼称
* 幽世大神(かくりよ おおかみ)- 祝詞『幽冥神語』での呼称
* 幽冥主宰大神 (かくりごとしろしめすおおかみ)
* 杵築大神(きづき おおかみ)
 
== 妻・子孫 ==
45行目:
 
== 信仰 ==
国造りの神、農業神、商業神、医療神などとして信仰される。『古事記』上つ巻、及び『日本書紀』神代紀(下)に拠れば、[[スクナビコナ]]らと共に「大国主が行った国作りとは、人々に農業や医術を教え、生活や社会を作ること」であったとされる<ref name="出雲暗号38">[[#関、出雲暗号|出雲大社の暗号]]38-41頁『医学の始祖となった出雲神』</ref>。荒ぶる八十神を平定して日本の国土経営の礎を築いた。また出雲大神には[[祟り神]]としての側面があり、転じて「病を封じる神(医療神)」になったという<ref name="出雲暗号38" /><ref name="出雲暗号28">[[#関、出雲暗号|出雲大社の暗号]]28-30頁『出雲神は祟る、恐ろしい神』</ref>。[[古事記]]には、出雲大神の[[祟り]]で口がきけなかった[[誉津別命]]([[垂仁天皇]]第一皇子)が、出雲大神に参拝することで口が利けるようになったとの逸話がある<ref name="出雲暗号41">[[#関、出雲暗号|出雲大社の暗号]]41-44頁『出雲神に天皇も敬意を払った』</ref>。
 
医療神としての信仰の事例を近世挙げると、[[1883年]](明治16年)10月に[[明治天皇]][[皇后]]([[昭憲皇太后]])<ref>[[#大社叢書四]]コマ4-5(原本3-4頁)『三、皇后陛下(昭憲皇太后)出雲大佐へ御祈願』</ref>もしくは大正天皇の生母[[柳原愛子]]が病弱だった明宮(のち[[大正天皇]])の健康を祈り<ref>[[#大正天皇物語]]コマ17-19(原本9-12頁)</ref>、[[出雲大社]]より大国主の分霊をとりよせ、明宮が生活していた[[中山忠能]]邸の神殿に祀っている<ref>[[#大正天皇(原2000)]]31-32頁『アマテラスではなくオオクニヌシ』</ref><ref>[[#大社叢書四]]コマ6-7(原本6-8頁)『四、中山邸内へ出雲大社御分靈奉遷』</ref>。
大正天皇は皇太子時代の1907年(明治40年)[[5月27日]]、[[東郷平八郎]]元帥等と共に<ref>[[#大社叢書四]]コマ8-12(原本11-19頁)『七、出雲大社へ御参拝』</ref><ref>[[#皇太子殿下島根県行啓日誌]]コマ60-62(原本115-119頁)『出雲大社御参拝』</ref>、出雲大社を参拝した<ref>[{{NDLDC|2950518/3}} 明治40年5月29日官報第7172号。国立国会図書館デジタルコレクション コマ3]『○東宮行啓 皇太子殿下ハ一昨二十七日午前九時今市町御旅館御出門島根縣女子師範學校ヘ行啓續テ杵築町御箸出雲大社御参拝午後同縣立杵紫中學校ヘ行啓同四時三十分御旅館ヘ還御アラセラレタリ』</ref><ref>[[#大正天皇(原2000)]]112-114頁『公式の山陰巡啓』</ref>。先述の「記紀にて人々に医術を教えた事による医療神信仰」に加えて、大正天皇は[[己卯]]の年の生まれ(平易に言えば干支は卯年の生まれ)であるので、(大国主の兄弟神たち・八十神に嘘の治療法を教えられて浜辺で泣いていた兎を正しい治療法・蒲の穂の花粉で癒やしたという[[因幡の白兎]]の)<ref name="出雲暗号38" />逸話等から験を担いだものとされる。
 
また大国主は'''縁結びの神'''としても知られる。縁結びの神とされる由来は、大国主が神事を治める出雲には毎年10月に諸国の神々が集い([[神在月]])、出雲の大国主の下で神々が人々の縁結びについて話し合われるという逸話から、主宰神たる大国主に縁結びの信仰が生まれたとされる。また、大国主命が福徳によって助けた兎に言われた通り[[八上比売|ヤガミヒメ]]と縁が結ばれた逸話や、[[スセリビメ|須勢理毘売命]]を始めとする多数の女神と結ばれたことによるという解釈もある。
 
出雲大社は「大国主神が[[幽世]]の神事の主催神となられ、人間関係の縁のみならず、この世のいっさいの縁を統率なさっている」として、男女の縁のみならず、広く人と人との根本的な縁を結ぶ神であるとしている。出雲大社の主張に対しては、「元々その信仰そのものが[[江戸時代]]の[[国学]]によって作られたもので、古くにはないものであり、上記の俗説が民間信仰となって広まったため」だとする説もあるが、[[比較神話学]]の立場から国学とは無関係に古く存在していた信仰である可能性も指摘されている。 
 
縁結びの信仰がいつから始まったかという点は正確には不明だが、江戸時代中期には確実に出雲大社(大国主)の縁結び信仰が広まっていた模様。確認できる最古の文献として、江戸・元禄時代に井原西鶴が記した『世間胸算用』に「出雲は仲人の神」と記述ありとされる。そも(抑)、[[神在月]]の謂われはいつの頃から存在したかという点について、古くは平安時代末に藤原清輔により著された歌学書『奥義抄』では「十月(かみなつき)、天下のもろもろの神、出雲国にゆきて、こと国に神なきが故にかみなし月といふをあやまれり」(意訳:十月は「かみなし月」というべきところを「かみなつき」と誤っている)という記述があり、既に平安時代末の頃には十月に神々が出雲に集まるという話、信仰が広まっていたともされる。同時代、藤原範兼による歌学書『和歌童蒙抄』にも、「十月は万の神たち出雲ノ国へおはしますに依て神無月と云う」とあったとされ、室町時代には、辞書『下学集』に 「出雲国には神有月と云うなり」とあり、ここで初めて神有月([[神在月]])という言葉が出てきたとされる。他、室町以降は様々な文献等に散見され、室町時代以降は一般大衆の間にも、「十月に出雲に神々が集まる」という話が広まっていた模様。
 
この他にも、中世には武士や刀鍛冶などから武神、軍神としても広く信仰されていた。記紀神話には直接的な武威の表現は見られないが、武を象徴する別名があることや、[[スサノオ]]の元から手にした[[生大刀]]や[[生弓矢]]を用い国を広く平定したことなどから、そうした信仰になったと考えられる。このため武士政権が崩壊した明治以降現在も、武術家や武道家などから信仰されている。
 
===神仏習合===
「大国」はダイコクとも読めることから同じ音である[[大黒天]](大黒様)と習合していった。{{refnest|name="朝日日本歴史人物_大国主命"|[https://kotobank.jp/word/%E5%A4%A7%E5%9B%BD%E4%B8%BB%E5%91%BD-449820#E6.9C.9D.E6.97.A5.E6.97.A5.E6.9C.AC.E6.AD.B4.E5.8F.B2.E4.BA.BA.E7.89.A9.E4.BA.8B.E5.85.B8 「大国主命」 - 朝日日本歴史人物事典]。朝日新聞出版。}}<!-- 子のコトシロヌシが[[えびす]]に習合していることから、大黒様とえびすは親子と言われるようになった。←これだけではエビス信仰について偏った印象を与える可能性が高い。エビス神は由来不明というのが正しくwikipediaは蛭子説と事代主説に対して中立であるべき -->
 
=== 大国主を祀る主な神社 ===