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{{表記揺れ案内|表記1=ジョン・イナー}}
{{テニス選手
|選手名(日本語)=ジョン・イナー
|写真=Flickr - Carine06 - John Isner.jpg
|写真サイズ=230px
|写真のコメント=ジョン・イナー
|選手名(英語)=John Isner
|フルネーム(英語名)=John Robert Isner
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|更新日時=2018年7月13日
}}
'''ジョン・ロバート・イナー'''('''John Robert Isner''', [[1985年]][[4月26日]] - )は、[[アメリカ合衆国|アメリカ]]・[[ノースカロライナ州]][[グリーンズボロ (ノースカロライナ州)|グリーンズボロ]]出身の男子プロ[[テニス]]選手。[[ジョージア大学]]卒業。身長208cm、体重108kgの巨体から繰り出す高速サーブを最大の武器にする選手。これまでに[[男子プロテニス協会|ATP]]ツアーでシングルス13勝、ダブルス5勝。自己最高ランキングはシングルス9位、ダブルス26位。日本語の資料によっては「ジョン・アイズナー」の表記も見られる。
 
マスターズ1000ではシングルス優勝1回、ダブルス優勝3回。2016年シーズン終了時点で歴代6位となる8601本のサービスエースを決めており、また毎年エース数・サービスゲーム獲得率・ファーストサービスポイント率などで上位にランクインする。
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=== キャリア初期 ===
ナーは父親が建築家、母親は不動産業者という家庭に生まれ、9歳から[[テニス]]を始めた。少年時代はその長身を生かして[[バスケットボール]]もプレーしたが、16歳でテニスに専念する。彼は[[2004年]]から[[2007年]]まで[[ジョージア大学]]の学生テニス選手として活動し、2007年の[[全米大学体育協会|NCAA]]テニス選手権でシングルス準優勝・ダブルス優勝を成し遂げた後にプロ選手となった。同年7月の[[レッグ・メーソン・テニス・クラシック]]で決勝に進み、同じアメリカの[[アンディ・ロディック]]に4-6, 6-7(4)で敗れて準優勝になる。8月末の[[2007年全米オープン男子シングルス|全米オープン]]で、イナーは主催者推薦(ワイルドカード)から3回戦に進出し、第1シードの[[ロジャー・フェデラー]]から第1セットの[[タイブレーク]]を奪取した。この試合には7-6(4), 2-6, 4-6, 2-6で敗れたものの、イナーはアメリカ期待の新星として一躍有名になった。彼の身長(208cm)は、現在のATPツアーでは[[イボ・カロビッチ]]の211cmに次ぐ2番目の長身である。
 
=== 2008年・2009年 ===
[[2008年]]の[[グランドスラム (テニス)|4大大会]]では、シングルスはすべて1回戦敗退に終わったが、[[2008年全仏オープン男子ダブルス|全仏オープンダブルス]]で[[サム・クエリー]]と組んだ3回戦進出があった。7月の[[テニス殿堂選手権]]で、イナーは[[マーディ・フィッシュ]]とペアを組み、男子ツアーでダブルス初優勝を挙げた。フィッシュとは[[2009年全豪オープン男子ダブルス]]でもペアを組んで出場し、ベスト8進出の成績を残している。その後、イスナーは春に患った[[伝染性単核球症]]のため、しばらくの間戦線を離脱し、[[2009年全仏オープン|全仏オープン]]と[[2009年ウィンブルドン選手権|ウィンブルドン]]を欠場した。
 
彼はそのプレースタイルから、1試合の中で多数のサービス・エースを奪っても、それを試合の勝利に結びつけられない時が多かった。その一例として、[[2009年全豪オープン男子シングルス|2009年全豪オープン]]1回戦では、[[ドミニク・フルバティ]]から39本のサービスエースを奪ったが、6-7(4), 6-2, 2-6, 5-7のスコアで敗退した<ref>[http://www.atpworldtour.com/Share/Match-Facts-Pop-Up.aspx?t=580&y=2009&r=1&p=I186 Match Facts]</ref>。 ようやく[[2009年全米オープン男子シングルス|2009年全米オープン]]で、イナーはシングルスで2年ぶりの初戦突破を果たし、3回戦で第5シードの[[アンディ・ロディック]]を破る勝利を挙げた。この試合ではイスナーが38本のサービスエースを奪い、同じく強力サーブを最大の武器にするロディックも20本のサービスエースを放ち、両者合計で58本のサービスエースが乱れ飛ぶ戦いとなったが、最終第5セットの[[タイブレーク]]の末に7-6(3), 6-3, 3-6, 5-7, 7-6(5)のスコアでイスナーが競り勝った。4回戦では第10シードの[[フェルナンド・ベルダスコ]]に6-4, 4-6, 4-6, 4-6で敗れた。この大会では、アメリカからの男子シード選手だったロディック、[[ジェームズ・ブレーク]]、[[サム・クエリー]]の3人がすべて3回戦で敗退したため、イナーは米国男子のシングルス最高成績をマークした。2009年ATPツアーでエース数653本が6位にランクインされた。
 
=== 2010年 初タイトル 史上最長試合 ===
[[2010年]]に入り、イナーは年頭の[[ハイネケン・オープン]]の決勝で[[アルノー・クレマン]]を破り、男子ツアーでシングルス初優勝を果たした。続く[[2010年全豪オープン男子シングルス|全豪オープン]]では、シード選手の1人だった[[ジル・シモン]]の直前欠場により、繰り上げで「第33シード」を与えられ、そこから4回戦まで勝ち進んだ。前年度の全米オープンに続く2大会連続の進出となった4回戦では、第5シードの[[アンディ・マリー]]に6-7(4), 3-6, 2-6のストレートで敗退した。
 
[[2010年ウィンブルドン選手権男子シングルス]]では1回戦で、[[6月22日]]から[[6月24日|24日]]にかけて[[ニコラ・マユ]]と史上最長試合となる11時間5分の試合を戦い、6-4, 3-6, 6-7, 7-6, 70-68で制した<ref>{{cite web|url=http://jp.reuters.com/article/sportsNews/idJPJAPAN-15993820100625 |title=テニス=ウィンブルドン男子単の最長試合、3日がかりで決着 |publisher=Reuters |date=2010-06-25 |accessdate=2010-07-08}}</ref>。それまでの最長記録は[[2004年全仏オープン]]で記録された6時間33分だった。日没による中断が2回、イナーは113本のサービスエースを記録した<ref>{{cite web|url=http://www.sanspo.com/sports/news/100625/spl1006252305007-n1.htm |title=お疲れイスナーあっさり敗退/ウィンブルドン |publisher=[[サンケイスポーツ]] |date=2010-06-25 |accessdate=2010-07-08}}</ref>。また、対戦相手のマユも103本のサービスエースを記録し、合計215本のサービスエースが飛び交った。疲労が蓄積されたためか、続く2回戦では[[ティーモ・デ・バッカー]]に1時間14分でストレート負けし、サービスエースも1本にとどまった<ref>{{cite web|url=http://jp.reuters.com/article/sportsNews/idJPJAPAN-16011020100626 |title=テニス=ウィンブルドン男子単、最長試合記録のイスナー敗退 |publisher=Reuters |date=2010-06-25 |accessdate=2010-07-08}}</ref>。2010年ATPツアーでエース数が1,048本がツアー1位にランクインされた。
 
=== 2011年 グランドスラムベスト8 ===