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1969年(昭和44年)1月京都大教育学部助教授(比較教育学)に就任したが、翌1970年(昭和45年)[[大学紛争]]で京都大を辞職。同年[[ハワイ大学]]東西文化センターのコミュニケーション研究所創設に伴い同所長就任要請を受けるが断り、行政的義務や時間的拘束のない同研究所の高等研究員に就任。
 
1971年(昭和46年)から1974年(昭和49年)にかけては[[今西錦司]]に誘われ、[[東レ]]がスポンサーの「環境問題研究会」に藤井隆<!-- タレントの藤井隆にリンクしてしまう。 -->、[[東畑精一]]、[[松本重治]]らと参加。研究成果は『人類とその環境』(講談社)にまとめられた。
 
また、[[今和次郎]]が1972年(昭和47年)「[[日本生活学会]]」を創立すると[[川添登]]らとともに発起人として参加する。