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[[File:20171114_AUT_URU_7801.jpg|thumb|right|250px|ウルグアイ代表<br />2017年11月14日、親善試合[[サッカーオーストリア代表|オーストリア]]戦]]
[[File:Where is Luis? - Uruguay 2 - England 1 - 140619-6300-jikatu (14467303544).jpg|thumb|right|250px|[[2014 FIFAワールドカップ]][[サッカーイングランド代表|イングランド戦]]のウルグアイサポーター]]
'''サッカーウルグアイ代表'''({{Lang-es-short|Selección nacional de fútbol de Uruguay}})は、[[ウルグアイサッカー協会]](AUF)により構成される[[ウルグアイ]]の[[サッカー]]のナショナルチーム。愛称はそのユニフォームカラーから「'''セレステ'''」など。ホームスタジアムは[[首都]]、[[モンテビデオ]]にある[[エスタディオ・センテナリオ]]。
 
== 概要 ==
[[File:Uruguay national football team 1930.jpg|thumb|right|250px|[[1930 FIFAワールドカップ|第1回FIFAワールドカップ大会]]で優勝したウルグアイ代表]]
サッカーウルグアイ代表は20世紀前半において世界屈指の強豪として君臨し、[[1924年]]、[[1928年]]の[[オリンピックサッカー競技|オリンピック]]で連覇ワールドカップでは[[1930年]]に憲法発布100周年を記念し開催された地元での[[1930 FIFAワールドカップ|第1回大会]]、[[1950年]]の[[1950 FIFAワールドカップ|ブラジル大会]]で優勝している一方で、[[コパ・アメリカ]]では最多となる15回の優勝を誇る。
 
だが、1970年代以降はワールドカップでは度々南米予選で敗退するようになり、国際タイトルからも[[1995年]]の[[コパ・アメリカ]]を最後に遠ざかるなど長きに渡り低迷していた。一方で、選手個人では欧州トップリーグで活躍する選手を多く輩出していたため、ウルグアイ代表は[[古豪]]」と紹介されることも多かった。
 
2010年の[[2010 FIFAワールドカップ|ワールドカップ南アフリカ大会]]でも予選では大陸間プレーオフで出場権を手にするなど苦戦したが本大会では[[ディエゴ・フォルラン]]、[[エディンソン・カバーニ]]、[[ルイス・アルベルト・スアレス]]らの活躍もあり、下馬評を覆して40年ぶりのベスト4入りを果たしたなかでもフォルランはウルグアイ代表として初の大会得点王とMVPに輝いた。古豪の復活をたたえ、帰国後の凱旋パレードではおよそ50万人の国民が出迎えた。
 
2011年の[[南米ユース選手権]](U-20の大会)では準優勝し、[[2011 FIFA U-20ワールドカップ]]への出場権を得ると同時に、1928年に優勝した以来84年ぶり(18大会ぶり)にオリンピック本大会へ出場<ref>[[ベルリンオリンピックにおけるサッカー競技|1936年ベルリン大会]]および、[[モントリオールオリンピックにおけるサッカー競技|1976年モントリオール大会]]においても南米予選を突破していたものの、出場を辞退した。RSSSFによる記録 [http://www.rsssf.com/tables/35safull.html ベルリン大会予選]、[http://www.rsssf.com/tableso/ol1976q.html#SAmerica モントリオール大会予選]</ref>([[ロンドンオリンピック (2012年) におけるサッカー競技]]も参照)。さらに同年の[[コパ・アメリカ2011]]ではグループリーグを2位通過すると、準々決勝で[[サッカーアルゼンチン代表|アルゼンチン]]を下し、決勝でも[[サッカーパラグアイ代表|パラグアイ]]に3-0で圧勝した。6大会ぶり15度目の優勝を果たし、強豪としての地位を取り戻しつつある<ref>[http://sportsnavi.yahoo.co.jp/soccer/copa/text/201107210001-spnavi.html 決勝へ向けひとつの形が完成したウルグアイ] -スポーツナビ: 2011年7月21日</ref><ref>[http://sportsnavi.yahoo.co.jp/soccer/copa/text/201107260002-spnavi.html 23年前の記憶を呼び覚ますファイナルの舞台] -スポーツナビ: 2011年7月26日</ref><ref>[http://sportsnavi.yahoo.co.jp/soccer/copa/text/201107280004-spnavi.html ウルグアイ、南米を制した偉大なチームの可能性] -スポーツナビ: 2011年7月29日</ref>。
 
2014年の[[2014 FIFAワールドカップ|ワールドカップブラジル大会]]では前回同様予選では苦戦し、2002年の[[2002 FIFAワールドカップ・南米予選|日韓大会]]から4大会連続で[[2014 FIFAワールドカップ・大陸間プレーオフ|大陸間プレーオフ]]に回るも<ref>2006年の[[2006 FIFAワールドカップ・南米予選|ワールドカップドイツ大会南米予選]]では5位に終わり、大陸間プレーオフで[[サッカーオーストラリア代表|オーストラリア]]と対戦、お互いホームでの1-0勝利、2戦合計で1-1のためPK戦での決着となったが2-4で敗れ本大会出場を逃した。</ref>、[[サッカーヨルダン代表|ヨルダン]]を下して本大会出場権を獲得した本大会GLでは[[2014 FIFAワールドカップ・グループD|グループD]]に入り、初戦で[[サッカーコスタリカ代表|コスタリカ]]と対戦して破れたが、2戦目の[[サッカーイタリア代表|イタリア]]、3戦目の[[サッカーイングランド代表|イングランド]]といった強豪を下しグループ2位で突破した。しかし、決勝トーナメント1回戦で[[サッカーコロンビア代表|コロンビア]]に敗れた。
 
2018年の[[2018 FIFAワールドカップ|ワールドカップロシア大会]]では、[[2018 FIFAワールドカップ・南米予選|南米予選]]第17節の時点で2位(最低5位で大陸間プレーオフ確定)につけていたが[[サッカーチリ代表|チリ]](第17節終了時点で3位)、コロンビア(第17節終了時点で4位)、[[サッカーペルー代表|ペルー]](第17節終了時点で5位)、アルゼンチン(第17節終了時点で6位)、[[サッカーパラグアイ代表|パラグアイ]](第17節終了時点で7位)と本大会出場を争う混戦となっていた。最終節で[[サッカーボリビア代表|ボリビア]]を逆転で下して予選2位をキープし、本大会出場を果たした<ref>[https://www.soccer-king.jp/news/world/wc/20171011/654258.html アルゼンチンが逆転突破、ウルグアイらも本戦へ…チリは敗退/W杯南米予選]サッカーキング 2017年10月11日</ref>。本大会では開催国[[サッカーロシア代表|ロシア]]のほか、[[サッカーサウジアラビア代表|サウジアラビア]]、[[サッカーエジプト代表|エジプト]]と同じ[[2018 FIFAワールドカップ・グループA|グループA]]に入り、3勝0敗で首位通過のまま決勝トーナメント進出を決めた。決勝トーナメント1回戦では[[サッカーポルトガル代表|ポルトガル]]と対戦し、に[[エディンソン・カバーニ]]の2ゴールで2-1で勝利したものの、そのカバーニはポルトガル戦での途中で左足ふくらはぎを負傷してしまい退場となった。その準々決勝ではそのカバーニを怪我で欠いたことが響き、[[サッカーフランス代表|フランス]]に0-2で敗れ、2010年大会以来となる準決勝進出を逃してしまった。
 
=== ユニフォーム ===