「再生産」の版間の差分

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== 資本による再生産 ==
[[資本主義]][[経済]]においては資本は経済活動の主体であり、それ自体が資本の成長を目的とした再生産を行うと[[マルクス経済学]]では考えられる。資本の再生産では[[賃金]][[労働者]]が[[労働]]過程で行われる[[剰余労働]]によって生まれる[[剰余価値]]が、まず[[利潤]]として[[株主]]の配当、役員の報酬、[[企業]]の留保[[利潤]]などの形態をとる。ここでさらに価値を増大させた資本がさらに資本利益を得るために投資を行い、さらに[[剰余価値]]を得ようとする。このように資本は[[拡大再生産]]、[[資本蓄積]]を繰り返すことで自己の価値を拡大する傾向にある。
 
== 再生産概念の拡張 ==
マルクス主義哲学者ルイ・アルチュセールによって、企業外で「生産諸条件の再生産」がなされ、イデオロギー的国家装置において「生産諸関係の再生産」がなされていることが暴力装置中心の国家論に対する「イデオロギー」に働きかける国家論の修正を伴ってなされた<ref>アルチュセール『再生産について』平凡社</ref>。同時期に、社会学者ピエール・ブルデューは、文化的恣意性が正統化されて、学校教師の教育学的権威と教育学的労働とにおいて文化的再生産と社会的再生産とがなされている学校システムを解析した<ref>ピエール・ブルデュー『再生産』藤原書店</ref>。これらは、経済学的な再生産概念を国家、社会へと拡張したもので、1970年以後、「再生産」論は世界的に教育分析において拡張されていく<ref>小内透『再生産論を読む』東信堂、1995年。Michael W. Apple)ede.), Cultural and Economic Reproduction in Education(RKP. 1982)</ref>。
マルクスの資本論を踏まえ、経済的再生産、社会的再生産、文化的再生産、を総合的に考察する必要が現代社会分析では要される<ref>山本哲士『<私>を再生産する共同幻想国家・国家資本』文化科学高等研究院出版局、2017年</ref>。
 
== 関連項目 ==