「再生産」の版間の差分

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== 再生産概念の拡張 ==
マルクス主義哲学者ルイ・アルチュセールによって、企業外で「生産諸条件の再生産」がなされ、イデオロギー的国家装置において「生産諸関係の再生産」がなされていることが暴力装置中心の国家論に対する「イデオロギー」に働きかける国家論の修正を伴ってなされた<ref>アルチュセール『再生産について(1995)』平凡社。先立って「イデオロギーと国家のイデオロギー諸装置」の論考が1970年に『パンセ』誌に発表された。</ref>。同時期に、社会学者ピエール・ブルデューは、文化的恣意性が正統化されて、学校教師の教育学的権威と教育学的労働とにおいて文化的再生産と社会的再生産とがなされている学校システムを解析した<ref>ピエール・ブルデュー『再生産(1970)』藤原書店</ref>。ラディカル・エコノミクス派のボールズとギンタスは親の収入・学歴と子供の就学との関係の再生産を分析した<ref>ボウルズ/ギンタス『資本主義国アメリカの教育』岩波現代選書</ref>。これらは、経済学的な再生産概念を国家、社会へと拡張し、再生産概念を転移したもので、1970年以後、「再生産」論は世界的に教育分析において拡張されていく<ref>小内透『再生産論を読む:バーンステイン、ブルデュー、ボウルズ=ギンティス、ウィリスの再生産論』東信堂、1995年。Michael W. Apple(ed.), Cultural and Economic Reproduction in Education(RKP. 1982)</ref>。ブルデューは、世襲的再生産から「能力の再生産」へ移行した歴史的な変化を「国家貴族」の登場において分析した<ref>ブルデュー『国家貴族(1989)』藤原書店</ref>。
 
マルクス資本論の再生産様式を踏まえ、経済的再生産、社会的再生産、文化的再生産、を総合的に考察する必要が現代社会分析では要される<ref>山本哲士『<私>を再生産する共同幻想国家・国家資本』文化科学高等研究院出版局、2017年</ref>。諸個人が、生徒・教師、医師、会社員、役人、親、主婦などの「社会的代行者social agents」として再生産され、社会規範を再生産し、商品経済・国家秩序を再生産している。その根本は<資本ー労働>の領有法則にあるというものだ<ref>マルクス『経済学批判要綱』大月書店</ref>。
 
== 脚注 ==