「オルタナティブ教育」の版間の差分

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一方、[[レフ・トルストイ]]やフランセスク・フェレル・イ・グアルディア ([[:en:Francesc Ferrer i Guàrdia|Francesc Ferrer i Guàrdia]]) といった[[アナキズム|アナーキスト]]達は、「教育とは政治的自由を得て、宗教と分離し、階級差を取り除くものである」と強調した。
 
もう少し近代になってからは、[[ジョン・ホルト (教育者)|ジョン・ホルト]]、エバレット・ライマー、[[イヴァン・イリイチ]]<ref>ラーマーとイリイチが、メキシコの研究所CIDOCにて「deschooling(脱学校(化)、非学校化)」を提起し、フレイレもそこに参画し、世界中へ広がった。</ref>、ポール・グッドマン([[:en: Paul Goodman (writer)|Paul Goodman]])、[[フレデリック・マイヤー]]、ジョージ・デンソン ([[:en: George Dennison|George Dennison]])といった社会評論家達が、教育というものを[[個人主義]]、[[アナキズム]]、[[リバタリアニズム|自由意志論]]といった観点から考察し、慣例化している既存の教育法は若者の見識を型にはめることによって民主主義を堕落させていると非難している。同時に、教育理論革命がブルデューの再生産論、アルチュセールのイデオロギー国家装置論を機にして、フーコーの監獄の誕生におけるディシプリン権力批判が加わり、バジル・バーンステインの言語社会学、マーティン・カーノイ、ヘンリー・ジルー、さらにマイケル・アップルやゲオフ・ウィッティらの「教育知」・カリキュラム批判へと深化されたことが、オルターナティブ教育の動きに並走していたことを見逃してはならない。理論転換と実際教育の双方からの動きである。教育革命を起こした[[パウロ・フレイレ]]たちから、アメリカの教育者である[[ジョナサン・コゾル]]やハーバート・コール([[:en:Herbert Kohl|Herbert Kohl]])に至るまで、様々な者が[[左翼]][[自由主義|リベラル]]および急進的な政治観点から、西洋の主流教育法を批判した<ref>日本では周郷博がオルターナティブ教育にいち早く関心を示し(『周郷博教育著作集』柏樹社)、イリイチに師事した山本哲士が教育批判を徹底して理論化している。山本哲士『教育の幻想 学校の幻想』(ちくま学芸文庫)、『教育の政治 子どもの国家』『<私>を再生産する共同幻想国家・国家資本』(共に文化科学高等研究院出版局)、山本は大学教師になる前に「オルターナティブ学習塾」を実行している(『学ぶ様式』新曜社)。フレイレは、小沢有作、里見実らが翻訳導入し、シュタイナーは子安美知子らが紹介した。</ref>。
 
== 現代に見られるオルタナティブ形式 ==