「竹内均」の版間の差分

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==科学の普及==
竹内は一生の進路を導いてくれた寺田寅彦のエッセーに強い思いを抱き続け、自らも寺田の後継者となるべく、科学を難解なものでなく平易なものとして広く普及することに尽力。その集大成として挙がるのが雑誌『[[ニュートン (雑誌)|Newton]]』の存在だ。
 
難解に思われがちな科学テーマを鮮やかなビジュアルとスピード感ある記述により描き出し、一般市民にも科学を身近な存在に受け取れるという認識を示した。その結果『Newton』は、世界でも有数の科学雑誌へ成長、竹内はこの『Newton』を創刊した[[1981年]]から終生、編集長を務めた。
他に、生涯で2000回を越えるテレビ出演、[[1974年]]には映画『[[日本沈没]]』にも出演。トレードマークの黄色い眼鏡も視聴者に親しみを持ってもらうためのものであり、またその独特の口調は[[タモリ]]に「歩く[[ヨーデル]]」と評された。
 
しかし、本人はエッセイの中で、[[タモリ]]が直接自分に出会ったときに、とても恥ずかしそうに丁寧に挨拶をした事で、人間的に親しみを覚えたそうで、好感を持っていたことがうかがえる。
とても恥ずかしそうに丁寧に挨拶をした事で、人間的に親しみを覚えたそうで、
好感を持っていたことがうかがえる。
 
これら竹内の個性は全て、従来の一般による学者イメージを大きく変えるものであり、科学の普及へ大きく尽力することとなった。
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