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『[[三国志 (歴史書)|正史]]』には「[[公羊学|公羊春秋]]を学び、広く[[史記]]・[[漢書]]を読破した」とある。また仲の良かった犍為郡の楊恭の死後、彼の家族の面倒を見たとあり「その義行は、まことに行き届いたものだった」と記述されている。楊洪ともかつては友人であったが、楊洪が子の張郁の行為を目こぼしをせず処罰し、また留府長史の人事で[[向朗]]を推挙して、自らをその下に配属することを諸葛亮に進言するなどしたことから、友情にひびが入り逆恨みするようになったという(楊洪伝)。
 
== 脚注 ==
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== 参考書籍 ==