「ヒューゴー・ガーンズバック」の版間の差分

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===無線雑誌編集者としてのガーンズバック===
当初は自己の送信機と受信機間で電波の到達実験していたに過ぎなかったが、1907年(明治40年)頃より子供たちが趣味・娯楽として相互交信を楽しむ「[[アマチュア無線]]」が形成されていった。通信販売事業においては、いかに魅力的な商品カタログを仕上げるかが重要である。また販売部品の使用方法や技術解説などを丁寧にドキュメント化する必要もある。ガーンズバックはこれらの作業を通じて、無線通信や無線実験を専門とする月刊雑誌を編集・出版することを思い立ったのである。
 
1907年頃のアメリカにはいくつもの科学雑誌や電気雑誌はあったが、無線専門誌はまだなかった。1908年(明治41年)4月、一般大衆に無線界の最新ニュースを提供し、同時に無線知識の啓蒙を目的とする、世界初の無線雑誌『モダン・エレクトリックス』を創刊した。<ref>『SF雑誌の歴史』p.42-44</ref>ガーンズバックの狙いは的中し、学生を中心に無線実験が全米に広まった。
 
その後もガーンズバックは、『エレクトリカル・エクスペリメンター』(1913年~)、『ラジオ・アマチュア・ニュース』(1919年~)といった無線雑誌を創刊した。
 
===アマチュア無線家を組織したガーンズバック===
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1909年12月に電波を国家管理するロバーツ法案が提出されたが、これにはアマチュア無線の禁止が含まれていたためガーンズバックが反対運動を始めた<ref>''Modern Electrics'' 1910年1月号 p471</ref>。軍用局や商業局へ混信を与える「学生小児実験家」(アマチュア無線家)を締め出す法案とそれに反対するガーンズバックの様子は日本の逓信省職員の機関誌で伝えられている<ref>米国議会に於ける娯楽的無線電信禁止案 『通信協会雑誌』1910年5月号 通信協会 p41</ref>。これがアマチュア無線というものの存在が日本に伝えられた最初だった。
 
その後もガーンズバックは、『エレクトリカル・エクスペリメンター』(1913年~)、『ラジオ・アマチュア・ニュース』(1919年~)といった無線雑誌を創刊した。
 
===SF雑誌編集者としてのガーンズバック===