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オクヤマ (会話 | 投稿記録)
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出世に熱心のあまり、監察御史であったときはしばしば地方官の不正を糾弾し、大政治家の[[裴度]]と勢力争いに及ぶ。元稹はその詩文を穆宗に喜ばれ、さらに宦官の巨頭・崔潭峻と仲がよいので任官できたとも言われる。一時期不遇で文学に専心。[[楽府]]体の詩歌に社会批判を導入し、叙事詩的手法を駆使して新楽府という新生面をひらく。そのため「才子」とも称せられた。やがて[[白居易]]と「元白」と並称されるほど交流を深め、和答(わとう、唱和での返詩)に次韻(じいん)という形式を創造し「元和体(げんわたい)」または「元白体(げんぱくたい)」として一世を風靡した。[[伝奇小説]]の『鶯鶯伝』<ref>『[[太平広記]]』 卷第四百八十八 雜傳記五 鶯鶯傳。 803/804年?。明代以後の刊本では『会真記』(かいしんき)と題されている。日本語訳は、《唐宋伝奇集 上》 『12 鶯鶯との夜―鶯鶯伝』 今村与志雄 訳 1988年 岩波文庫 ISBN 978-4003203811、p.178-200 と 《六朝・唐・宋小説選》 二〇 『鶯鶯の物語』 前野直彬 訳 1968年 平凡社 中国古典文学大系 24 ISBN 978-4582312249、p.280-290 。初出 1959年 平凡社 中国古典文学全集 06 がある。{{wikisourcelang-inline|zh|太平廣記/卷第488}}</ref> <ref>書生と遠縁の娘の恋愛物語であるが、元稹自身の体験という説があり、妥当とされている。《唐宋伝奇集 上》 p.285-286 。</ref>では曲折に富む構成と達意な筆致で、以後に流行する小説を先導した<ref>[[井波律子]]『中国文章家列伝』 2000年 ([[岩波新書]]) ISBN 978-4004306627 、第三章「元稹 中国最初の小説家」による。</ref>。『元氏長慶集』60巻にほぼ全作品が収められている。<ref>{{wikisourcelang-inline|zh|作者:元稹}}</ref><ref>{{wikisourcelang-inline|zh|元氏長慶集 (四庫全書本)}}</ref>
 
==注・出典 子女 ==
=== 男子 ===
{{reflist|2}}
*元道護
=== 女子 ===
*元保子 - 韋絢に嫁いだ。
*元小迎
*元道衛
*元道扶
 
== 脚注・出典 ==
{{reflist|2}}
 
{{Normdaten}}